「(女は弱し、されど)母は強し」ってこの言葉、もういいです。
もうウンザリ。
この言葉を使っている背景には、子供を産んだ女性を鼓舞し称える意味合いも含んでいることは理解できますが……、ここにつながっていく文脈が、もうウンザリです。
(子育てがつらくても)少々のことでも気にしない!
だって母は強しですもの!
とか。
イクメンに頼るなんて情けないことを言わない!
だって母は強しですもの!
とか。
明るく亭主を送り出してアゲマショー!
だって母は強しですもの!
とか。
明るく楽しく頑張ってイキマショー!
だって母は強しですもの!
とか。
もう……、……。
うるさいなあ……。
はっきり言ってなんか病的だ、そのポジティブ風。
で、もしそれが本当なら……。
なんで育児不安の特集が毎日毎日どこかに掲載されているのだろうか?
てか。
女性ってそんなに言われるほど弱いの?
出産を経験しなくちゃ強くならないの?
ちなみに私の妻のベリーさんは独身の時も、結婚した時も、そして今も十分強くて素敵な女性です。
だいたい。
そもそも弱くてつらいお母さんがいてもいいでしょ、人間だし人生なんていろいろあるんだから。
○○だから△△だ、とか。
○○だから△△たらねばいけない。
↑のような言い方はひどく生き方や考え方を縛りつけることになるわけで。
(○○には母とか父とか、子供とか長男とか、女とか男とか、△△には「産む」とか「強い」とか、「稼ぐ」とか「継ぐ」とかの呪縛ワードが入ります)
そんなものは家族の形や本人によってどうにでも変わるものなのに、ポジティブ風な呪縛のせいで、いらないプレッシャーを感じたり、余計な劣等感を覚えたりしてしまうわけです。
だから、大切なのはそんな使い古された一見ポジティブに言い切っているような呪縛なんかじゃなくて、自分と自分の家族にとって良いようにカスタマイズする知恵だと思うわけであります。
今この時に弱くてつらくて、だから休んだり、怠けたり、愚痴言ったり、本読んだり、映画観たり、誰かに頼ったりしたとしても、いつか自分と家族がよくなれるように思って、願っていれば、別になんだっていいと思うんです。
ということで。
私はポジティブお馬鹿が謎根拠で言い切ってくるわけのわからないプレッシャー的なものは、一切気にしなくていいし、軽く無視するのがいいと考えるわけであります。