どーも、いつも映えてたい、輝いていたいと思っている親男です。
(インスタとかでいつも頑張っている人はマジでスゲーなーって思います。全然憧れんけど。。。)
さて、本日「ベリーの暮らし」からお借りするテーマはこちら↓。
我が妻ながらすごいぜ。。。
この「映える」至上主義の世の中で。。。
「映え」なければ人間にあらず、とまで言われるこの現代で。。。
。。。
1%も「映え」てない、この記事のお弁当たち。。。
が。
私は声を大にして言いたい。
「映え」なくていいじゃん、日常だもの。
と。
そして、あっぱれ、ベリーさん。逆に素晴らしいよと。
私、いつも思っていたんです。
仮に「映え」至上主義の象徴のようなキャラ弁で、かわいいキャラができたとして。
そのキャラってどこから食べるのが残酷じゃないのかと。
かわいいクマさんがお弁当箱の中にいたとして。
食べるのは、
熊の耳からですか?
それとも眼?
はたまた頭を割って中身をほじくり出して食べますか?と。
(中身がケチャップ系なら、なかなかにリアリティ追求型で、なお良しであります)
「映え」を追求した果ては。。。
頭が割れてケチャップが飛び出したクマさん。
うん。いいですね。
つーわけで。
弁当なんて日常の何ものでもなく。
親がつくるのが楽で、子供たちが食べて喜ぶ、これ以上のものがあってたまるかと。
こんな風に思うわけであります。
もちろん。
「映え」もキャラ弁も楽しいですけどね。
ただ、SNSの向こうにいる人の眼ばっかり気にして日常を糊塗するのはちょっとアレだななんて思ったりもするわけであります。
ベリーの暮らしより