どーも、国民的漫画の親父像は全部単細胞という説を学会に近々発表したい親男です。
(磯野波平、フグ田マスオ、さくら友蔵、さくらひろし、野原ひろし、のび太のパパ、毛利小五郎。。。やべ、この説、結構ガチかも。。。)
さて、このように何の恨みがあるのか、日本において親父像というものはとかくアホに描かれがちであります。
これが実態に即しているのかいないのかは、ぜひ各ご家庭で検証していただければと思うのですが。(ちなみに我が家だと、やっぱり結構当たっているかもしれないです。)
そんな単細胞生物にとって、その関係性がまったくもってわかりづらいのが。
母と娘の関係性。
この母子の関係性っていったい複雑なの?単純なの?どっち?
これが見えてこない、実に理解しづらいものなのです。
妻ベリーさんと義母の様子を見ていても。
私の妹と実母の様子を見ていても。
そして。
我が家のベリーさんと小ベリーちゃんの関係を見ていても。
非常に難しい。実に難解なものなのであります。
前に会ったときは結構激しい喧嘩をして別れたはずなのに、次に会ったときは何事もなく話していたり。
さっきまで二人の間で嵐が渦巻いていたのに、今は一緒に買い物に出かけたり。
(親父と息子はそうクルクルと関係が変わらず、前を引きずりがちな気がします)
たぶん、お互いの情緒と情緒がぶつかり合っている根底に何か別の謎のシンパシーが基礎となって担保されているんじゃないのかな。
と。
この程度までは想像がついても、それが何なのか。
その基礎はどうやって成り立ったのか、なぜ近くても遠くても成り立っているのか。
なんでそんなに簡単にケンカの後にベタベタできるのか。
いろいろとわからない。
今日の今日の話ですが。
先ほどまでベリーさんと小ベリーちゃんが言い合っていたのですが。
私と一番下の子が昼寝している最中に二人は一緒に買い物に行ってしまっていて。
戻ってきたら二人して仲良く手巻き寿司のネタを買ってきました。
さっきの殺伐としたやり取りは一体何だったのかと。
ちなみに二人が言い合っているとき。
私は極力その渦中には入らないように息をひそめるわけです。
(そう、私はそういう時。気を消すことができます)
というわけで。
単細胞親父の範疇を超える母と娘の関係。
まあ。わからないならわからないとして、しょうがないとしても。
トムとジェリーみたいに「仲良くケンカ」してくれてたら、まあいいかなと。
(つーか、難しすぎてそれくらいの感想しか出ないです、実際)
で。やっぱり気になるのは。
親父ってやっぱり単細胞に描かれすぎですよね。
これはこれでまったく別のネタになる気がしてきた。。。