親男日誌 ―4人きょうだいとベリーさんと私―

都内で夫婦共働き、4人の子育て(ナルニア物語と同じ男→女→男→女)、妻はベリーの暮らしのベリーさん、そんな家族のお父さんのブログです

私が子育てに「ゲーム」を取り入れた理由

どーも、子供の頃、ファミコンを買ってもらえなかったので、金持ちのいとこの家で毎週末プレーしていた親男です。

(なんせ、いとこは金持ちで、最新作がほぼ発売日から1週間以内にあったので、私はクラスの誰よりも早く最新作をプレーして、誰も私がファミコンを持っていないと思っていませんでした)

 

さて。

 

そんな。

ゲームに対してコンプレックスを抱えた子供はどうなるのか。。。

 

私の親は教育上の理由とやらで私にゲームをさせなかったっぽいのですが。

(その辺のことは親と話してないですが)

 

 

結局のところ。

 

当時、小学生だった私のゲームへの情熱は倍増計画になり。。。

 

金持ちのいとこの家に泊まりに行っては狂ったようにやってましたし。

(いい迷惑だったでしょうが。。。)

 

最終的には市の子供プログラム教室で自分でゲームをつくってましたし。

(シャープの会社の方が講師でした)

 

さらにそのプログラム教室を修了すると、当時は珍しかった市のパソコンルームを使える権利が得られるので。

 

ファミコンでは飽き足らなくなって、友達の高校生の兄さんからゲームを借りて、市のパソコンルームで海外のゲームなんかを英語の辞書を片手にやってました。

(おかげで英単語を覚えられましたけどね。。。)

 

 

ま。所詮。

 

親がいくら止めたって。

 

子供がそのことに興味がある以上は。

 

親の目なんかはいともたやすく掻いくぐって。

好きなものをするのが子供だと思うわけであります。

 

それは結局。

漫画が昭和30年代の「悪書追放運動」でやり玉に挙がったって。

その後日本を代表する文化になるのに似ている気がしていて。

 

ほとばしる情熱と文化が融合したら。

親ごときの浅はかな「教育上の理由」なんかは屁みたいに。

無力なものになるんじゃないかと思うわけであります。

 

 

で。

 

 

翻って自分が親になった時。

 

私はゲームに限らず。

 

どうやっても子供たちが無人島にでも暮らさない限りは。

 

クソも味噌も一緒くたになったものに触れるだろうことが予測されますし。

 

親が変な風に止めたところで。

 

子供たちにホントに興味があれば。

 

そんな禁止令なんかは「屁」みたいなもんであることは。

 

自分自身が実践してきましたので。

 

 

であれば。

 

むしろ輝くばかりの魅力あふれるゲーム文化の面白さを。

 

我が子育てに取り入れたろうと。

 

考えたわけであります。

 

 

 

ということで。

 

それが私が子育てに「ゲーム」を取り入れた理由です。

 

そして。

一応いくつかのルールは設けました。

 

が。

 

それは。

子供たちに、ではなく、親としての自分がゲームを選んであげるとき、のルールです。

それは次回ご紹介します。👇です。

narnia-daddy.com

 

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我が思い出のファミコン ©親男

 初代のファミコンってコントローラーのA,Bボタンが四角のゴムでした。

 

連射しているとそのゴムが潜ったきり出てこなくなったのもいい思い出です。。。

(その後、改良されてプラスティックの丸型のボタンになりました。)

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