どーも、「バカというやつが一番バカなんだよ」という小学生の定番文句を今こそ噛みしめたい親男です。
(こんなタイトル付けている時点でオメーがな、と。)
さて。
先日、ヤフコメに対して以下のような記事を書きました。
ま、つまり妻ベリーさんの記事に批判したけりゃすればいいけど。
批判する時は、節度を持ってねってことと。
うちの子たちを引き合いに出して意味不明な批判すんな、バーカ。
という内容です。
で。
思うんですけど。
この手のネットの匿名の住人に限らず。
往々にして人は、よそ様の幸せを自分の物差しで測る愚を行っていないだろうか、ということ。
つまり。
先だってから物議を醸している皇族の方の結婚のことしかり。
中学に通わないことを選択したユーチューバーの親子のことしかり。
彼らが違法だったり。
自分たち含めて誰かを傷つけていたり。
未来の不結果が確実に予測できていたり。
(そんな千里眼持っている奴なんていないだろうけど)
そんなんじゃない限りは誰も彼らの幸せの形を規定できやしないし。
する資格なんてないんじゃないか。ってことです。
皇族の人はお互いが愛し合っているから結婚して。
中学に通わない親子はお互いが信頼し合っているからYouTubeで活躍する道を選んで。
で、うちの場合は家が狭かろうが広かろうが、子供たちは親の私が見ても活き活きと生活しています。
当たり前だけど。
幸せって当事者の人たちしか決めることができなくて。
どんなに貧しくても苦しくても幸せはあるし。
どんなに満ち足りていても不幸せはあるし。
。。。って、こんな当たり前の。
小学校の道徳なみに基本のキの字。
一丁目一番地みたいなことを考えるきっかけになったのは。
そういった「ネットの匿名での批判」のお陰だったのでした。
よく「便所の落書き」なんて言われていますが。
ある意味ではありがたい話であります。南無南無。
で。
さらに思うのは。
まったく責任を負わない外野以外の何ものでもないところから発せられる、その言葉の数々は。
確実に標的となった人々の心をえぐっているということ。
生涯の伴侶と決めた人が匿名の仮面をかぶった奴らから口汚く罵られ続ければ、心を痛めるでしょうし。
その逆に。
自分のせいでなんの咎もない伴侶が批判の対象になれば、落ち込みもするでしょうし。
自分とお父さんで決めたやり方なのに、お父さんが仮面野郎たちから口汚く罵られれば、悔しくて泣きたくなるかもしれないし。
そのお父さんは自分のせいで子供がアホたちからの標的になればホントに心はキツイはずで。。。
自分の人生で大切な人が、無責任で卑怯な立場からの批判に晒されれば堪えない奴なんて基本いないと思うんですよね。
1万歩譲って、成人した人々は自己の言動の結果によるもの、という見方をしたとしても。
絶対に。
そういう騒動に。
子供たちを絡めるんじゃねーよ。と。
お茶の間でテレビに文句を言っているのと違くて。
その汚くて卑怯な言葉はWorld Wide Webを通して、当事者たちに届いてしまい。
そして、傷つける。
そんな資格も責任もない奴らから。。。
ということで。
やっぱり。
私は。
人の幸せを自分の物差しで測っちゃいかんだろ、と思うわけであります。
そんなに何かを批判したくてしょうがなけりゃ。
そうじゃなきゃ鬱屈した自分の現実と折り合いを付けられなけりゃ。
巨悪を突けよ。政治を語れよ。環境問題を考えろよ。
差別に怒ればいいし。格差を憂えればいい。
メディアに出ているからって、その人は一個人で大事な人がいて。
大切な幸せがあって。
それを匿名の仮面をかぶって寄り集まらなけりゃ何も言えない奴らの餌食になっていいわけはない、なんて思うわけであります。