どーも、中学生のころ、実家の部屋に壁一面のコラージュをつくっていたのですが、たまに実家に帰ると吐き気がするほどダセーと思う親男です。
(あの頃はマジでマジだったのに、なぜこんなにヘボいと思うのか。。。)
さて。
昨日、我が相棒の長男坊(中2)が今度やる運動会のダンスの振り付けの動画をみせてくれました。
それを見て私は。
私は。。。
。。。マジか。
。。。マジかよ。
と。
その。
絶望的なダサさ。
今を生きている世代のはずなのに。
00年代の雰囲気に、そこはかとない80年代の雰囲気で。
どっちにしても数十年古い感じ。
それを中学生の子たちが踊っている動画を見るというのは。
もう共感性羞恥の集中砲火を喰らっているようで。
あまりにあまりにで。
私はすべてを見ることができませんでした。
で。
このGW中にそのダンスを憶えなくてはいけないという長男坊は。
本日、友達と公園に練習に行ったわけですが。。。
あんなにダサいダンスをオープンな場で踊るってこと自体に疑問を感じていない時点で。
やっぱり中坊のセンスはダセーな、なんて思うわけであります。
ということで。
子供たちが。
一生懸命やっているのにそんなことを言うなんてΣ(・□・;)
なんて言う人もいるかもしれませんが。
一生懸命やることと。
ダセーことは別もんですからね。
踊り、ダンス、舞踊を民俗芸能や芸術という形でとらえるとすると。
ダサいことはダサいと教えたり、指摘したりすることは。
次の世代に対して。
むしろ大事なことだと思うわけであります。
「一生懸命」に拘泥するのは、本質から目を逸らす保護者側の怠慢に他ならないと思ったりするわけです。
と。
じゃあ、お前は踊れんのかって思ったりしますよね。
技術は全然ですが、私は踊れます。
以前、ブラジル大使館のそばのレストランにシュラスコ料理を食べに行って。
急遽店の真ん中の空間を開けて、ダンス大会になった時。
一人ひとり自分のダンスを輪の真ん中で披露するって感じになり。
私は日本人で一等最初に躍り出て拍手喝さいを浴びた。
という経験はあるので。
情熱的なダンスはたぶん行けるんじゃないかと思っているわけであります。