どーも、仕事人生の大半が「おっさん」たちとの闘いだった親男です。
(だから私のおっさん評は酷評であり、毒が盛られすぎているわけです。)
さて。
で。
なんで若手時代から「おっさん」たちと闘ってばかりだったのかと言いますと。
ひとえに「おっさん」が馬鹿だから。
ただ馬鹿なだけなら。
さすがの私もそこまで悪しざまには言いませんし。
放っとけばいいだけなのですが。
「おっさん」 の何が質が悪いって。
無駄に権力を持っていたりするからなのでした。
バカに鉄砲を持たすな。
「おっさん」に権力を持たすな。
ということなわけです。
なので、若手で血気盛んな私は至るところで馬鹿な「おっさん」に正論で噛みつき。
冷や飯を食いそうになったり、実際食わされたりといった危ない橋をわたりまくっていたわけです。
。。。
。。。
。。。
。。。で。
その私が今まさに花のおっさん。
馬鹿なおっさんになってないことを祈るばかりではありますが。
ホントに馬鹿なおっさんになっていたら、自分で馬鹿なおっさんであることに気づかないわけで。。。
いったいワシがバカじゃないことをどうやって証明すればいいのか。
うっすら悩む日々なわけです。
で。
なんでこんなことを考えたのかと言いますと。
最近私のチームにいる若手の人々の成長が目覚ましく。
彼らと週一で新しいプロジェクトのために議論をするのですが。
たぶん彼らが思っているよりも。
ワシは必死こいて脳みそをフル回転しているわけです。
「こ、これが、おっさんの脳みそというものなのか。。。」
「な、なんて脆弱な脳みそじゃ。。。」
「脳みそが歳とともに蒸発しているのじゃないのかね。。。」
みたいな。
つまり。
ワシがあれだけ馬鹿にしていたおっさんに。
そこはかとなく同化してしまったようなワシ。
悲しいの〜。
哀れじゃの〜。
不憫じゃの〜。
だがしかし!
ワシは。
ワシは馬鹿かもしれないけど。
「馬鹿なおっさん」ではない!
と。
自分で信じたい。
is my life.
ということで。
若手の方が優秀なのは決まってます。
気力も体力も。
なんだったら知力だって若手の方が上。
なら。
おっさんとして何をすべきか。
それは。
歳や経験によって持つことができた自身の権力を。
我田引水、自分のために使わず。
若手のために使う。
ただそれだけで。
ワシは。
おっさんとしての価値があるのではないかと思うわけです。
生物的に劣っているおっさん、ロートルどもが。
少しでもこの考え方であるならば。
ワシは大げさではなく。
世界はもっと良くなるのではないかと思うのであります。
つまーり。
おっさんは。
無知の知を知れ。
なんて思うのがおっさんであるワシなので。
この記事はどこかでループするような。
しないような。。。