どーも、適度にやったことを忘れ、人の顔を憶えず、つまらない話を聞く時は別のことを考え、西にバカなやつがあればオレもバカだから安心しろと言い、東にアホなことをやっているやつがいたら負けずにアホなことをする、ソウイウモノニワタシハナリタイ、と常々思っている親男です。
(大丈夫だ、オメーはもうなってる、安心しろ。)
さて。
今日、久しぶりの弁当づくりでした。
繰り返される弁当づくりの每日からしばし解放されていたのは。
長男坊がテスト期間だから。
なのにスーパーに行くたびに弁当用の食材を補充していたので。
ストックがたまりまくって困ってました、たぶん妻ベリーさんが。
(ワシの弁当用食材が、冷蔵庫・冷凍庫の普段の食事用のスペースを圧迫するわけですな。)
で。
久しぶりにつくった弁当が👇️。
ワシ、前に👇️のような記事を書いたのですが。
つまり、ワシの弁当づくりがあと15年続くという計算をしてしまった記事です。
愕然と、軽く絶望。。。みたいな。
そしてそんなこんなで。
また「繰り返しの每日(弁当づくり編)」が再開されたわけです。
これに対して。
ワシの脳みそはやっぱり愕然と軽く絶望なのかと申しますと。。。
豈図らんや。
アホな脳みそでよかった。
つまりフツーに「今日久々に弁当つくって楽しかった」なんてベリーさんに話しているわけです。
つくり始めた頃や15年続くことを計算した時は。
口が裂けても「楽しい」なんて思わなかったはずなのに。
ふとそれが口をついて出るようになったワシは。
つくづくと。
単細胞でよかった。
難しいほうに悩むタイプじゃなくてよかった、バンザイ。
なんて思うわけです。
やりがいとか。
存在意義とか。
承認欲求とか。
その前に。
弁当づくり、うっひょ~楽しー、みたいな。
ワシハサウイウアホでよかったでござる。
ということで。
とかなんとか言っても。
「繰り返しの每日」が飽きるから旅が好きだし。
「繰り返しの每日」を壊したいから知らない土地で知らない人と酒を飲むわけだし。
「繰り返しの每日」から抜け出したいから映画や小説が好きなわけだし。
「繰り返しの每日」に耐性が高いほうかもしれないけど、たまにどっかでウォーって吠えたい気にもなったりして。
そんな裏腹なおっさん、親男であります。
。。。
。。。
。。。でも。
「繰り返しの每日」は、すなわち「安定」でもあるわけで。
その「安定」は恵まれた国、恵まれた環境だからこそ言えるものなのかもしれない。
うん。
だからやっぱ「繰り返しの每日」には感謝かもな。。。