どーも、リビングの「家庭学習コーナー」に私のものが何一つないことに疑問を抱く親男です。
(まるで家族の中で私だけが何も学習してないみたい)
さて、本日「ベリーの暮らし」から借りるテーマはこちら↓。
我が家の家庭学習はリビングテーブルで行っていますが、年度末・年度初めで学習グッズが荒れてきたという内容。
荒れてきた。
片付けられていない。
のかな?ほんとに?
それではご覧いただきましょう。
私にとっては別にフツー。
嘆く要素ゼロ(とまではさすがに言いませんが、そんなに言うほどではない気が)。
つまり。
私は片付けられていない状況の許容量が非常に大きい。
一方、ベリーさんは理想の「あるべき姿」があり、現状と「あるべき姿」の差を嘆いているというわけであります。
これ。
一見すると、対比されるような関係にあるように思いますが。
実は全然別物なのかなと。
片付けられていないことの許容量の 大 > 小 とかではなく。
頭の中に住まいの理想の状態が 有 or 無 ということなのではないか。
と。
かつて、独身時代に住まいをガチのゴミ屋敷にしたことのある親男は思うわけであります。
片付いていない人種=ゴミ屋敷脳には理想の状態がない。
実は乱雑を許容しているわけでもなく、何が快適なのか見出せていない。認識していない。気が付いていない。この世の中にあるとも思っていない。って感じです。
よーするに。
ここに夫婦間のお片付けのズレがあるように思うわけであります。
ゴミ屋敷脳はいくらお片付け脳にとやかく言われてもイメージが湧かない。
だって、その中の辞書に理想の状態がないのですから、当たり前なわけです。
だったら、片付けなんて面倒くさいことは後回しになりますし、別に片付けなくても息が止まるわけでもないですから、必殺放置状態を決め込むのですね。
うん。
実際のゴミ屋敷脳が言うんだから、なかなかに説得力がある。(ような気がする)
だから、まあゴミ屋敷脳を少しでもお片付け脳に向けさせるためには、実は「片付けてね」じゃなくて、「こうしたいから、こうなってほしいんだよ」ということを理解させていくことが大事な気がいたします。
と書くだけ書いて思うことは。
ひょっとして私はまだベリーさんの住まいの理想を理解しきれていないってことでしょうか?
このズレに言及すればするほど、妻を理解していない痛い夫ということになるのでしょうか?
また、自分で自分の首を絞めることを書いてしまった気がする。。。