どーも、ウサギさんは寂しいとホントに天国に行ってしまうのか疑問に思っている親男です。
(じゃあ、飼い主の懐が寂しいとどうなるの?口が寂しかったら?はたまた髪の毛が寂しいとどうなっちゃうわけ?とウサギさんと寂しさのことを考えると夜も眠れません)
さて、本日「ベリーの暮らし」から借りるテーマはこちら↓。
我が相棒である息子が中1を機に手帳を使い始めた、という内容です。
ふむ。
中坊1年生ごときが生意気で一丁前ではありますが。
ベリーさん愛用の手帳で、彼にも自分で時間をコントロールできるようになってほしい、私親男も真にそう思うものであります。
ただ。
彼とは子供たちの中でもっとも長く一緒にいるわけで。(長男だから当たり前ですが)
産まれた日のことも、初めて笑った日のことも、ハイハイしたり、立ったり、歩いたり。
初めて風呂に入れて、おむつを替えた時のこともよく覚えているあのオムツマンだった奴が。
だんだんと大きくなって、ついには手帳を使い始め。
自分の意志で人生を選択し始めるなんて。
なんだか、マジで寂しくなってしまうのはなんなんでしょう?
合理的に考えれば、手間が減って、かつ無事成長して、ただただ単純にうれしい。
と。
そうならないと変なはずなのに、寂しいのはなぜなのか。
実に親本位の自分勝手な感情だなあと、改めてそう思うわけであります。
早く大きくなれ。
無事に大きくなれ。
そう願って、初めての育児でいろいろとあったはずなのに。
いざ大きくなってみると、寂しいとは。。。
まさに自・分・勝・手。
と。
考えてみて、ふと。
遥か昔。
実家の親父とおふくろが、私が家を出て上京するときにそういえば寂しそうだったなあ、ということを思い出します。
めでたいことなんだから寂しそうにされても困るなあ。。。
なんてその時は思いましたが、今だったらその時の父と母の気持ちがよくわかる気がします。
自分はそんな父と母みたいにならないだろうなぁとも思っていたのに、結局のところ、親ってそんなもんなのかなあ、なんて思うわけです。
で。
さらに考えると。
我が家は4人子供たちがいて。
私はこういった感情とあと都合4人分も付き合っていかなくてはいけないとなると。。。
ウサギさんのように寂しくて事切れないことをただただ祈るばかりであります。