どーも、うっかりと長女が読んでいた「火垂るの墓」を読んでしまって親としての全機能が停止したことのある親男です。
(あの主人公の子たちの歳の差って。うちの長男坊と次女と同じなんですよね。。。辛すぎるっての。。。)
さて。
我が家では、長男坊も長女もお勉強全般はベリーさんに見てもらっています。
ただ。
面白いことに長男坊は国語の採点と解説だけは私にお願いしてきます。
で。
今日、テキストの「随筆」の設問で丸付けと解説をしたわけですが。
そこで題材になっていたのが。
俵万智さんの「たんぽぽの日々: 俵万智の子育て歌集」。
中学の子供たちに子育ての随筆が響くか響かないかは別にして。
親としての私は逆に。
つい。
設問の文章を読み込んじゃいました。
さすが、当代きっての歌人だなー。
包み隠しているわけでも、綺麗ごとにしているわけでも。
お為ごかしを言っているわけでも、気休めを言っているわけでもなく。
生の子育てをうたっているのに、決して突き放しているわけでもなく。
さすが、現代の歌聖だなーと。(2度目)
普段、詩歌や和歌、俳句なんかからは縁遠い。
どちらかと言えば、ゾンビ映画なんかを深夜一人で観ているような親父ではありますが。(ちなみに最近観たお気に入りはウッデイ・ハレルソンの「ゾンビランド」。なかなかにいい映画でした。。。って誰も聞いてないか。)
と。
そんなゾンビのことは置いておいて。
脳みそがすでにゾンビ化している可能性のある親父に。
グッと響いたわけであります。
テキストの中で取り上げられていた歌は。
さくらさくら さくら咲き初め咲き終り
なにもなかったような公園
というもの。
私のつたない解釈としては。
つまり。
子育て中というのは「さくらの咲き初め」や「さくらの咲き終り」のように。
桜の季節のワクワク、ソワソワ、咲いた散ったの一喜一憂に似ていて。
いつしかその季節が去った後は。
「なにもなかったような公園」になるのでは。
という感じでしょうか。
なにもない公園は寂しいのかもしれないですし。
のどかなのかもしれませんし。
心をいたずらにかき立てるものはないけど、その代わり心を激しく揺さぶるものもないわけで。
でも。
桜の季節は絶対に。必ず。100%。
終わるという。。。
必ずなにもなかったような公園に戻るわけであります。
ふむ。。。
4人の子供たちが毎日大騒ぎしている我が家では。
そんな日が来るなんて想像が難しいですが。
必ずこの騒乱の子育て期は終わるんだなーと。
このテキストの「随筆」の設問として解いている中坊たちには。
味わうには、まだ100万年早いんじゃね?
と思いつつも。
4人の子育て中の私には響いたわけであります。
。。。
。。。
。。。
。。。
。。。
てか。
息子のテキストの設問文を読んで感慨に浸る親父って。。。
はよ、採点と解説せーや。と。
今度、「たんぽぽの日々: 俵万智の子育て歌集」を図書館で借りてみよう。