どーも、ダイバーシティ(企業などで人材の多様性、というときによく使われますね)を多用されると逆にうさん臭く思う親男です。
(その言葉でわざわざ強調しないといけないってことは、つまり実践できてない、ってことだと思うんですよね。)
さて。
私と妻ベリーさんはほぼ真逆の人間であります。
こんな具合👇。
ふざけてる : マジメ
怠惰 : 勤勉
その場の思い付き : 計画的
話す方 : 聞く方
どんぶり : 几帳面
熱くなる : クール
もちろん左側が私で、右側がベリーさん。
。。。って書けば書くほど、ちょっと私はアレな感じで。
漫画やアニメで言うところのガサツキャラみたいなやつが私。
学級委員キャラがベリーさん。という感じです。(実際学級委員をやってたらしいですが)
で。
そんな夫婦ですので。
読む本はまず被りませんし。
観たい映画もあんまり被りません。
そんでもって。
夫婦共働きのキャリアのつくり方も全然違いますし。
それゆえにキャリアに裏付けられた経験値も異なっています。
ベリーさんが先行して多くの知見を持っていることもあれば。
私の仕事の経験上、ベリーさんのキャリアからは見えづらい部分を見ていることだってあります。
で。
つまり。
なにが言いたいのかと申しますと。
夫婦の生存戦略において。
2人がまったく違う、ということはそれはそれで適者生存の確率を夫婦で上げていることになるんじゃないのかなー、なんて思うわけであります。
例えば。
まったく同じ似たもの夫婦がいたとして。
まったく違う感性の夫婦がいたとして。
とある外的な脅威がそれらの夫婦を襲ったとき。
まったく違う感性の夫婦の方がその脅威に対して生き残りやすいわけで。
似たもの夫婦は一緒に共倒れのリスクがあるわけです。
ただ。
もちろん前提として感性や経験の違う夫婦がしっかりとお互いに情報共有しているということが重要で。
それがなされているときに存分に力を発揮するのではなかろうかと。
ということで。
今日たまたま、ベリーさんの方が多くの知見を有していることがあり。
それらからアドバイスと情報を私にくれたわけですが。
そういうのって大事だなぁ、なんてつくづくと思ったわけであります。
違う感性と違う経験が「夫婦(家族)」という共同体にとって有効に機能しているな、と。
なんて書きつつ。
夫婦の違う感性と違う経験だってリスクがあり。。。
つまり。
夫婦喧嘩になった時には。。。
たぶん似たもの夫婦の人たちよりも痛い感じになるのかなと。
イデオロギーとイデオロギーが。
ガチーン!とぶつかって。。。イテテ。。。みたいな。
うん。気を付けとこ。。。