どーも、小学校の頃、典型的なクラスのアホ男子だった親男です。
(なので、その生態には一家言あって。小3男子のことを書いた記事はたぶんこのブログで一番読まれている記事です。)
さて。
新小6になるわが家の長女は。
躊躇せず新しいことに挑戦できることが。
親の私が思う彼女の魅力です。
およそ子どもの口にあわない(と思う)酒の肴を私が食べている時に。
横に来て。
「食べさせてね」というのはたいてい長女で。
私はそういうところがすごいな、と。
たかが食べ物ですけど。
子どもって(特にわが家の)結構味覚が未発達、かつ保守的で。
未知の食べ物に対しての警戒感や拒否感って結構強いと思うのですが。
長女の場合、その辺を乗り越えて試しにかかるわけです。
でまあ。
思春期、反抗期のど真ん中なので。
よく妻ベリーさんとぶつかっては。
泣いたり怒ったり。
そんな女の子が今の長女です。
少し前。
その長女が。
学校を休みたいと言った時がありました。
それは。
彼女がある学年の代表に立候補したけど。
残念ながらそのオーディションに落ちてしまったからとのこと。
そして。
先日。
また長女が落ち込んでいて。
今度はまったく別の行事のリーダーに立候補したけど、投票で落ちてしまったと。
近いタイミングでそんなことが重なり。
長女的には結構きつかったとは思うのですが。
私は躊躇せず挑戦する彼女の姿勢にうれしかったわけであります。
が。
その後。
長女が。
「(リーダーに立候補した)イベントの当日は学校に行きたくない」と、ベリーさんに言っていて。
よくよく聞けばクラスメートからの心無い声があるからだと。。。
つまり。
おバカ小5男子から「あいつ、2度も落ちてるよ。目立ちたがり屋だな」なんて言われるくらいは長女的には右から左で受け流せるのだと思うのですが。
なにより辛かったのは。
今までいろんなシーンで応援してくれてたような女の子が。
陰でそのことを笑いものにしていると。
その子は長女とは特別仲いい方ではないけど。
そんな物言いに長女は傷つき。
さらに。
長女の親友たちにもわざわざそのことを言っていたりして。。。
世界中のどこの職場やコミュニティーでも
あるあるの事象ではありますが。
そういったことの洗礼をほぼ初めて受けて(まったく「初めて」ってこともないとは思いますけど。)。
落ち込んでいたわけです。
そして。
「選ばれなきゃ意味がない」んだと。
泣いていました。
👆のようなことをベリーさんと話していた時。
しばらく黙って聞いていたのですが。
選ばれなきゃ意味がない、友達に笑いものにされている、ってことを泣きながら言っているのを聞いて。
それは違う。と。
割って入っちゃいました。
ホントの勇気は。
挑戦したことであって。
そのことを。
何ら行動せずに傍観していた卑怯者から嗤われるいわれはない、と。
行動しない卑怯者が一生獲得できないものを。
たとえ、それが望む結果に結びついていなくたって。
2回の挑戦で獲得できている筈だと。
私。
思うんです。
ノックしなきゃ、ドアは開かないわけで。
ただノックするのは結構勇気が必要で。
その結果、ノックしてもドアは開かないかもしれない。
でも。
人生でドアってかなりたくさんあって。
その次のドアをノックする練習にはなっているわけです。
ノックしたドアが開かないとき。
それを嗤う人間は。
たぶん同じところにいるままです。
何も変わらない景色を見て。
バカみたいに嗤うだけ。
ドアの向こうを夢見ているけど。
飛び込む勇気なんてないし。
なによりもノックする勇気すらないわけです。
なので。
長女にはいつまでもノックする勇気のある子でいてもらいたい。
と結構マジで思ったわけであります。
ということで。
長女にとっては。
世の中には古今東西、卑怯者はいて。
そういった奴らがいるんだと知るいい機会にもなったと思います。
だけど。
やっぱり小学校の女の子には。
ただでさえ、自分が立候補したリーダーになれなかったという落ち込みの中。
そういったネガティブな行動を見聞きすることは結構こたえたようで。。。
まあ、たしかに大人だったとしても。
落ち込むよな。
なんて思いもしたわけです。
でも。
私は。
自分の娘が2度も何かに自ら手を上げ。
オーディションのために何度も練習をして。
リーダーのためのスピーチ原稿を書いて推敲して読んで練習して。
そういったことを知っているわけです。
その勇気を。
娘には誇ってほしい。
そう思うのです。
娘の挑戦する誇り高い勇気。
その瑞々しいものを、大人になってもずっと大事にしてほしいな。
なんて思うわけであります。