親男日誌 ―4人きょうだいとベリーさんと私―

都内で夫婦共働き、4人の子育て(ナルニア物語と同じ男→女→男→女)、妻はベリーの暮らしのベリーさん、そんな家族のお父さんのブログです

【不幸せの素】不満はどこまで行っても不満。

どーも、人生の極意なんて簡単で、ただ満足すりゃいいだけだと思う親男です。

(って全然簡単じゃねーわ)

 

さて。

 

先日、映画『エブエブ』(映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のことですね)を観ました。

そんで、いろいろと考えたりしました。

👇。

narnia-daddy.com

👆のワシの記事は。

つまり。

成功体験で世界は変わるって記事です。

 

 

ちなみに映画『エブエブ』自体の感想ですが。

マジでかっ飛んでいて。

SFとブラックジョークと下ネタと哲学風味、そしてカンフーがいい按配に融合していた感じであります(って分かりづらいと思うけど)。

ただ、『エブエブ』がアカデミー賞を席捲するほどの映画かな?とは思います。。。

まあ、アジアンや性的マイノリティに対するアピールをしたかった「woke」ネタかな、なんて穿った見方もできます(「woke」についてはそのうち書きます。)。

 

あんまり書くとネタバレになるので止めときますね。

で。

脳みそが疲れてない方はぜひご覧ください。

脳みそが疲れている方はたぶん少し待ったほうがいいかも。

 

 

 

でまあ、付随していろいろと考えたわけです。。。

 

『エブエブ』は様々なマルチバース(多元宇宙)に散らばる「自分」を行き来するわけですが。

そこには主人公の女性が成功して女優さんになって。

レッドカーペットを歩いている世界があったり。

ピザの看板持ちになっている程度の世界があったりするわけです。

で、今いる世界は移民いじめをする税務署員とやり取りする毎日。

旦那は情けないし。

父ちゃんはイッちゃてるし。

娘は反抗期爆発だし。

みたいな。。。

 

 

これって。

たぶん人がたいてい一度は夢想したことがあるはずで。

あー、あの時こうしていたらなぁ。

とか。。。

あー、今の(自分の)不幸はアレが原因だったなーとか。

とか。

あー、今目の前にいるこの人と一緒じゃかなったらなーとか。

 

ってやつです。

 

で、ワシは思うわけです。

たぶん不平不満が発想の最初にある人は。

マルチバースのどの世界線に行っても。

不平不満にまみれる人生を送る羽目になるんじゃないだろうかと。

 

成功しているかしていないかに関わらず。

幸せな人って。

たぶんどの世界線でも幸せなんじゃねーのかなーって。

(って「成功」っていったい何をもって成功というのかワシにはわかりませんけど。)

 

そんなふうに思うわけであります。

 

 

残念ながら。

「不平不満」が一丁目一番地の人は。

マルチバースのどこに行っても。

不平不満。

女優になっても不満。

ピザの看板持っても不満。

子どもが何人いても不満。

旦那が情けなくても、カンフーマスターでもどっちでも不満。

 

つまり。

そういうわけかなと。

 

現実の世界線。

今を生きるこの場所が。

何によって成り立っているのか。

不平不満で成り立っているのか?

いろいろあったことが重なって成り立っているありがたい状態なのか?

 

どちらで思うかでまったくの違いが出てくるんじゃねーのか、なんて思います。

 

 

ということで。

 

お世辞にも人様に誇れるようなことをしているわけじゃないワシですが。

たくさんの失敗をしているワシではありますが。

 

いつも思うことがありまして。

それさえあれば。

多少の失敗や恥なんて。

屁。

みたいなものに思えるわけです。

 

それは。

 

ワシはいろいろあってベリーさんに出会えて。

そしてその結果。

4人の子どもたちに出会えて。

それがワシの人生の意味なんじゃないかな。

と。

結構マジで考えているわけです。

 

ただそれだけで。

たいていの「過去」は全部ワシの中で許容できるわけであります。

 

なので。

人生で大切な人がいるなら。

その人に出会うための艱難辛苦であったと。

そう思えば。

たいていのことは許容できるのかな、なんて思うのです。

 

不平不満は。

どこまで行っても。

多元宇宙を行き来しても。

たぶん残念ながら。

不平不満なまんま。

 

なんじゃねーのかな。

なんて思うのです。

 

だったら逆に言えば。

考え方一つで。

幸せにもなれるんじゃないのか、と信じるわけなのであります。

 

下町の天丼は幸せの形。 ©親男

 

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