親男日誌 ―4人きょうだいとベリーさんと私―

都内で夫婦共働き、4人の子育て(ナルニア物語と同じ男→女→男→女)、妻はベリーの暮らしのベリーさん、そんな家族のお父さんのブログです

【男の勘違い】社会で認められるより家族だろ。

どーも、全日本おっさんが日本の害悪に違いないの会、会長のおっさん親男です。

(特に徒党を組んで昼飯に行くおっさんが嫌いです。つーか、一人で行けよ。)

 

さて。

 

私のクライアントはいわゆる大企業が多く。

そういった会社にお伺いすると、よく担当の方の案内で。

それ相応の役職についている方と挨拶をしなくてはいけないことがあります。

 

そういった場合。

担当の方のビビり方って半端なくて。

畏れ多くもハハ〜って感じで。。。

対するそれ相応の役職のおっさんもそれ相応に振る舞っていて。

苦しゅうない、苦しゅうない、みたいな。

 

で、私。

いつもそういったシーンで。

実にバカバカしいな〜。

なんて思って見ています。

 

 

それ相応の役職のおっさんは別におっさん自身が偉いわけでも何でもなくて。

おっさんの所属している会社の役職が偉いってことに。

なんで担当の人もそれ相応の役職のおっさんも気が付かないんだろう、と。

 

そう。

そんなおっさんなんて。

会社を退職すれば、ほぼ確実にゴミなわけで。。。

 

中には役職にあぐらをかかない、己を知る謙虚なおっさんもいることにはいますが。

そんなのってレア中のレア。

卵を割って黄身が2つあるレベル。

 

で。

勘違いしたおっさんは退職後。

ささやかな過去の栄光と経験を社会に還元させようと。

(それが自分の使命だし、社会からも求められているはず!って。)

四苦八苦。

会社時代に上にも下にも置かれない対応に慣れすぎているので。

属する会社に守られて裸一貫で社会と対峙したことないから。

右往左往。

こんなのおかしい。

ホントの自分をわかってもらってない。

って。

自分探しの中坊かよ。状態。。。

 

アホです。

 

 

私、先日面白い記事を読みました。

鴻上尚史さんの記事なんですけど。

あるテレビ番組で。

ボランティアに勤しむリタイアした男性をVTRで流したところ。

それを観ていたスタジオの外国人の方々が。

大笑い。

最初、鴻上さんはおかしいだろ、不遜だろ、と憤慨されたらしいのですが。

よくよくその理由を聞いて考えさせられたと。

つまり。

「リタイアしてまで社会に受け入れてほしいってなぜ?大事なのは家族でしょ?社会じゃなくて家族じゃない?」

というのがその理由。

(確か大意はこんな感じです。)

 

 

私もその記事を読んで考えさせられました。

 

日本のおっさんってホントに社会に居場所を求めがちだな、と。

 

でも。

 

しかし。

家族の中に居場所をなぜに求めないのか。

 

大事なことを忘れて。

家族の中にいる自分も。

結局社会に認められない自分も。

呑むことができず鬱屈としたリタイア生活。

 

つらいなぁ。。。

 

 

ということで。

 

でかい組織を傍で見ている立場としては。

 

つくづくと勘違いしているおっさんたちが組織をつくっているもんだ、と。

 

くっだらねーなー、なんて思うわけです。

 

きっと。

その昔から、公家社会でも武家社会でも。

連綿と続いてきたものなのかもしれないですが。

現代のおっさんが可哀想なのは。

リタイアがあるってことなわけですね。

 

自動的にある一定の年令になるとタイトルとポジションを剥奪されるという。。。

 

その時の寄る辺のなさに不安になって、居場所と評価を再び社会に問う、という愚行に出るわけですね。。。

 

いやだから、居場所と評価は家族のほうであれば十分だろ、と。

 

 

 

で。

この記事で最後におっさんたちに。

さらに絶望的なことを書いて締めくくりたいと思うわけですけど。

 

 

リタイアして急に、家族にもらえる評価も、居場所もないよ。

と。

 

家族の中での評価も居場所も。

婚姻から始まって続く普段の生活の中で積み重なっていくものなわけで。

 

つまり。

家族も家事も育児もなおざりにしていたおっさんに。

リタイア後の居場所も評価もない。

ってことなわけです。

 

。。。

 

。。。

 

。。。

 

。。。チ〜ン。

終〜了〜!

おっさんたちに本当に格好いいってどういうことなのか誰か教えてやってほしい。 ©親男
 

'