どーも、傲慢なおっさんとジジイが大嫌いな親男です。
(って、好きな人間なんてどこにもいるわけないから当たり前か。。。)
さて。
「謙虚」というものは、一体どういったものでしょうかね。
と。
ふと思ったりした理由は。
今日、初めて散髪してもらった人から。
「営業かサービス業をされていますか」と言われ。
(かなりの広義では)当たっていたので「なんで分かるんですか?」と聞いたところ。
「謙虚な仕草で、言葉も丁寧だからです」とのこと。
。。。とのこと。
とのこと、であります。
あれ?
あれあれ〜。
わかっちゃったかな〜、わかる人にはわかるのかな〜。
ワシが謙虚だってこと。
うんうん。
苦しゅうないぞ、ワシは謙虚だぞ!
ヒャッハー。
くたばれ人間!
と。
照れ隠しに書いちゃうわけですが。
ブログではこんな頭の悪い感じの私も。
実生活では案外気のいい人な感じなわけです。
でまあ、褒められついでに(ワシは褒められたと思っている)。
謙虚ってどういうことかなーと散髪の間考えていて。
それが冒頭の疑問なのでありました。
私。
塩梅のいい謙虚さって実は結構難しいのかな、なんて思います。
世の中には「謙虚」っぽいバカ丁寧な人がいますし。
はたまた、やたらと何でもへりくだる私が大嫌いな人種も存在しますが。
多分そういう人はそれが本質じゃないって普通にわかります。
そういう人たちを私が嫌いな理由は。
なんかそれが「小動物の怯え」のようなところが見え隠れするから。
にも関わらず。
生存のための「狡猾さ」も臭ってきたりして。
とかく鼻につくわけです。
一方。
しっかりと身についた謙虚さというものは。
一種の気品があるのではないかと思います。
つまり。
己をはっきりと認識している上で。
他者と線引をし、そして所作、言動に他者への配慮を乗せる。
って感じでしょうか。
その謙虚さが気品につながるのではないかなと。
というわけで。
皆さま。
お気づきでしょうか。
謙虚さは気品なんて考えを述べる前段で。
私が散髪で「謙虚と言われた」っつーエピソードを載せるという意味を。
つまり。
ワシには気品がある。
という三段論法なのであります。
- ワシは謙虚と言われた
- 謙虚さは気品だ
- つまりワシは気品がある
うん、きれいな三段論法。
い~やっほー!
気品気品やっほー!
。。。
。。。
。。。
。。。
。。。ってバカなことばっか書いている人間に謙虚さも。
ましてや気品もないってことは。
ったりめーだろ。。。
って話であります。
本日もくだらないこのブログをお読みいただき、誠にありがとうございました。(👈似非謙虚)