どーも、よく人から友達多そうと言われますが、逆にビックリするぐらい友達が少ない親男です。
(私とベリーさんの結婚式で、私の友達枠で小中高の友人は一人もいませんでした。。。ってよく考えたら大学も。。。ある意味すごいなオレ。。。)
さて。
という、どこか歪な感じの私の友達関係。
引っ越しと転校生生活ばかりだったので。
しょうがないと言えばしょうがなくもないのですが。。。
そこに大学生時代も入ってくるとやっぱり話は別です。
コミュ力を評価されることが多いは多いのですが。
結局のところ、本質的には人嫌いなのかなと思います。(えばって言うことか。)
で。
昨日からの続きであります。
私の人生の暗黒時代、幼稚園から小学校低学年の頃の友達の話です。
まあ、昨日書きました通り、私の幼児期というものは。
世の中にある「ルール」というもの全般がわからない、という。
いやーな時期でした。
トントンターン!トントンターン!のリズムの意味がわからないし。
グループで分けて◯で囲みましょう、も。
仲間を線で結びましょう、も。
何ページを開いてくださーい、も。
全部、意味がわからん。。。
で。
もっとも残酷に意味がわからなかったのが新一年生の時。
みんなが難しいことをしているような雰囲気の学校。
間違いなく幼稚園よりも楽しい雰囲気じゃない場所に放り込まれて。。。
友だち百人できるかな〜♬
じゃねーわ。
ランドセルだって全然嬉しくないし。
マジで最悪。
が。
そんな馴染めない環境の中、できたクラスの友達が。
「あさい君」なのでした。
あさい君とは。
なぜだか4月の最初から仲が良かったです。
新1年生の4月の頃。
授業と授業の合間の5分間休憩のときに。
二人で行っちゃいけない裏庭のブランコに乗りに行って。
先生を大慌てさせた記憶があるので。
たぶん最初っから気が合ったのだと思います。
あさい君は。
年中無休で鼻を垂らしていて。
言葉の出方も遅かったけど。
いつも一生懸命話していた記憶があります。
1年生になってしばらく経ったある日。
あさい君の家に遊びに行く約束をしたわけです。
私とあさい君としては。
極めて普通に、家で遊ぼうよ、ということになったのです。
が。
私の家とあさい君の家を巻き込む感じになって。
結局私は母と一緒にあさい君の家に行くことになりました。
で、行ってみたら確かに学校の学区を超えるくらい遠くて。
吉祥寺の駅チカのメチャ豪華なマンション。
共用廊下の中心に吹き抜けがズドーンとあって。
普段、社宅住まいの私にとっては。
「近未来」を感じたマンションでした。
当時の私は。
あさい君は年がら年中鼻を垂らしているから。
なぜかあさい君のお母さんも鼻を垂らしていると思っていたのですが。(短絡的だな。。。)
会ってみたらすごくハキハキしていて小綺麗で。
あさい君は話すのが遅いし鼻垂れなのに不思議なもんだ、なんて思いました。
その豪華なマンションで出されたお菓子も豪華で。
あさい君のお母さんは始終ニコニコして私を褒めてくれるし。
すごく楽しかった。
そんで、うらやましかった記憶があります、あさい君っていいなーって。
で。
私たちは順調に2年生でも同じクラスになります。
私は2年生になって少しだけ友達の幅が広くなって。
1年生の最初の頃よりもあさい君と二人きりでいることは少なくなりましたが。
それでも二人でよく話してました。
(しかし、その頃の私の若干広がった交友関係に私とあさい君の関係性は少し距離を持っていたような気がします。)
そして、その秋。
私の転校が決まるわけです。
転校したことがある人なら。
かなり「あるあるネタ」だと思いますが。
転校ってイベントは。
見送る方は勝手に盛り上がるもので。
実はそれが転校する側からすると鬱陶しかったりするわけです。
こっちはこっちで新しい環境にぶち込まれることが決まっている中で。
ただでさえ緊張しているし、心細いのに。
勝手にお別れ会とか。
勝手にさよなら文集とか。
そんなものいらんから、この不安なんとかしてくれ、って感じです。
そして。
これも。
さよなら文集あるあるですが。
- 「また遊びに来てね!」
(来ねーよ、これから行くのは日本列島横断した日本海側や。簡単に言うな。) - 「手紙書くよ!」
(えー、全然仲良くなかったじゃん。手紙書かれても返す言葉がないよ。。。)
さらには。 - 「会いに行くよ!」
(小学生の財力で来れるもんなら来てみろ!)
みたいな感じのオンパレード。
たぶんさよなら文集は👆の3パターンに大体収まります。
はっきり言ってこの繰り返しで。
勝手に主人公関係なく盛り上がるパーティー。。。
(なんとなくドラマチック。的な安いもんです。)
でも。
一人だけ違う作文。
それが、あさい君の作文でした。
あさい君の作文には。
なぜ行っちゃうの?
どこに行っちゃうの?
どうして?
と。
あさい君のいつものきったない、強力な筆圧の高い字で書かれていたのでした。
そして。
当時の私を最も絶句させたのが。
いつ帰ってくるの?
というフレーズ。
私は。
衝撃を受けてしまい。。。
私がいなくなることは。
つまり。
ずっとで。
それをあさい君に分かってもらうにはどうしたらいいんだろうって。
その後。
あさい君とちゃんとお別れの挨拶をしたのか。
実は記憶が定かじゃありません。
今でも元気にしてるのかな。。。
ということで。
もう40年以上会っていないあさい君は。
今でも会いたい友達です。
何年か前に。
実家に帰ったときに。
たまたまさよなら文集を見つけて。
あさい君のところで。
私は涙腺がやばかったです。。。
あさい君。
元気におっさんになってるかな。。。
あさい君、変なやつにイジメられてなきゃいいな。
と思います。
ぶっちゃけ小中高と一人も会いたい友達はいませんが。(そのきっかけになったエピソードはまた今度書きますけど。)
あさい君だけは別で。
もう何年もずっと会いたい人なのです。
しかし。
個人のお宅なら記憶を頼りに吉祥寺を歩けますけど。
マンションの集合住宅なのでわからないわけです。
。。。
。。。
。。。
。。。という。
ことをいろいろ思い出した次男坊ピノッキ(小2)の授業参観でした。
眼の前の今現在の。
小2の子どもたちを見てたら。
いろいろ感慨深いものがあり。
私とあさい君の当時の学校生活を思い出したわけであります。