どーも、小学校1年生のとき、結構マジメにみんなが何をやっているのかわからなかった親男です。
(みんながワークブックをいともたやすくやっているのを見て、みんな賢いんだなぁ〜、って思ってました。。。)
さて。
今朝。
保育園に行ったあと、通勤に自転車を漕いでいて。
信号で停まっていたら。
どこかで泣き声が。
ふと見たら。
黄色い帽子(うちの区で1年生に配付されるやつです)を被った子が。
お母さんらしき人に抱きついて泣いていて。
お母さんは困っているふうだけど。
強制はせずにその子をギュッとしてあげていたりして。
いわゆる小学校の登校班にはちょっと遅い時刻で。
そのお母さん、お子さんだけで歩いていました。
経緯も。
背景も。
個性も。
なにもわかりませんが。
がんばれ、1年生と。
うちの長男坊"くう"(中3)が小1のときもホント同じ感じで。
泣いているのを引っ剥がして登校班に行かせたこともあったり。
夏前までずっと泣いて登校してました。
そんでもって。
冒頭でも書きましたとおり。
私自身も入学したばっかりの小1のころは、学校なんて全然楽しくなくて。
泣きはしませんでしたが。
何のために通うのか、なんで難しい勉強をさせられるのかわからなくて。
中休みとか、昼休みとか、そういう時間制限な自由(でもなかったけど)時間も意味不明で。
結構な苦痛でした。
(その後、はじめて友達になる子のお陰でだいぶ楽しくなるのですが、それはまた別の機会にでも書きます。その子と私はクラスで浮いていたみたいですけど、一緒に遊んでホントに楽しかった。)
信号待ちの間にそんなことを考えてました。
うちの次男坊ピノッキも小1だから、つい目が行っちゃって見ていたのかもです。
がんばれ、1年生。
と。
学校が楽しいかどうかはその子次第だから。
「学校は楽しいよ!」なんて無責任なことは言えないけど。
小1という不安で不安定で、心細くて孤独な感じの時間は。
まあ、過ぎます。
過ぎたあとに何が来るかはわからないけど。
今とは違ったことになります。
それがいいことか悪いことかは、それも無責任だから言えないけど。
今の心細い「小1」というワールドはそれが世界のすべてじゃないので(って当たり前だ)。
次の世界が必ず待っているわけです。
だから。
泣いている黄色い帽子の子にはがんばってほしいな、と思ったわけです。
ということで。
結局、応援してるのか、してないのかわからないような文章ですけど。
どんな環境だって。
どんな境遇だって。
どんな現状だって。
時が過ぎれば次の何かが始まります。
だからがんばれよ〜1年生。
今のフェーズ(小1)が変わってそうなるのか。
次のフェーズ(その後の小学校生活)が変わってそうなるのかはわからないけど。
そのうち(その後の人生も含めて)。
きっと楽しい時間がくるはずだ!
だからファイトだ、1年生!
と、おっさん親男は思うわけであります。