どーも、子供のころ、ガチャガチャのハズレおもちゃを同額で友達に売りつけて大目玉を喰らったことのある親男です。
(ガンダムのゲルググが欲しくなかったので、売ったらメチャ怒られました。。。)
さて。
親男。
なんて言っている自分が親についての「親ガチャ」に言及しないのもなんですので。
この「親ガチャ」の件で思っていることをいくつか。
まず前提として思うのは。
「親ガチャ」は事実であるということ。
で。
さらに思うのは。
ったりめーだろってこと。
それを言えば、人生なんて大半が「ガチャ」によって彩られているわけで。
私は就職氷河期世代でしたけど。
だとしたら「世代ガチャ」でしょうし。
少なくとも内戦や侵略のない国に生まれたのは。
「国ガチャ」で。
四季のあるのは素敵だな、砂漠ばっかはちょっとアレだな、なんて思えば。
「気候帯ガチャ」で。
奇跡の惑星地球の豊かな生態系。。。的なことを言えば。
「惑星ガチャ」。(宇宙人も羨む地球、みたいな。)
手塚治虫さんの漫画「火の鳥」的に言えば。
人間に輪廻転生できてありがたいありがたい、の「輪廻ガチャ」という。。。
でまあ。
「親ガチャ」は寂しい言葉とか、親が聞いたら悲しむとか。
言いたい気持ちも分かるけど。
自身ではいかんともしがたい中で生きるときに。
まずは言葉で定義付けて。
自分自身を落ち着けたい、という気持ちがあるのも事実だと思うわけです。
落としどころのない、やるせない気持ち、境遇を。
腑に落とすには、言葉が必要で。
寂しかろうが、聞けば悲しかろうが。
その言葉が広まるのには、そういった必然的な背景があると思うんです。
で。
その言葉の定義によって腑に落とした先で。
「親ガチャ」に限らず、ありとあらゆる「ガチャ」を。
諦めで使うのか。
次にどうするかという分析に使うのかで。
大きく分かれてくるのではないかと思います。
つまり。
「親ガチャで外れちまっているから、俺なんて・・・」
か。
「親ガチャは外れだけど、じゃあその前提でどうしよう」
の違い。
親ガチャの主要素となる親の経済力、家柄、学歴、IQ、EQ。
それらを家庭環境や遺伝で受け継ぐとして。
諦めるのか、次にどうするか考えるのか、どっち?と。
経済力が不足しているなら、自分の人生のために必要な資金をどう調達するか。
学力が不足しているなら、伸びしろに期待して勉強するのか、勉強以外の能力を見出すのか。
そして。
仮に今の苦しい境遇や生活があるとして。
親ガチャだけでは詰まないのが、現在の日本なのではないかと思うんです。
苦しい境遇・生活の原因である要素を分解して。「親ガチャ」以外の障壁に着目して。
そこから突破口を見出すこともできるかもしれない。
ということで。
「親ガチャ」はたまたま最近「言い得て妙」ってことで広まっていますが。
別に人類が生まれた時からあることなわけで。
じゃあ、そんな新たに定義づけられた概念を有効に利用するためには。
「諦め」に使うんじゃなくて。
自分の人生のために「分析して次に使う」にしたほうがいいはず。
と。
たぶん私は4人の子供たちにはそう教えるつもりです。