どーも、幼児の頃、クレヨンや絵の具の色を混ぜると黒になるのが不思議だった親男です。(そしてその混ぜた汚い黒が大嫌いだったのに、何度もやるというちょっとアレな感じの子供でした。。。)
さて。
我が家では保育園の送り迎えは、ほぼ私。
この送り迎えは育児や家事の一つのタスクではありますが。
私にとっては、仕事扱いするようなものでもなく。
子供たちとの大事なコミュニケーションの時間。
(って書き方すると意識高い系みたいでイヤな感じですが。。。)
なので、たまに送り迎えがないような日は。
朝も夕もなんだか締まらない気分になってしまうわけです。
もしも保育園の送り迎えをタスクとしてしかとらえられなかったら、自分がきつくなるので。
つくづくそんな風に考えられる性分でよかったと思うわけであります。
(いや、ホントに)
で。
そんな自転車での帰り道、次男坊(5歳)との会話です。
次男坊:今日、○○ちゃんと△△くんとケンカした~
(自転車の後部座席から)
私:へ~、なんで~?
(自転車漕ぎながら)
J:○○ちゃんと△△くんが、◆◆(次男坊の名前)の絵が汚いって言ったから~
(ちょっと悲しそう)
実は次男坊の描く絵というのは、いわゆる絵が上手とされる子のソレと大きく違い。
一種独特な雰囲気のある線がビヤ~、シャーみたいな感じだったりします。
親の欲目で何とかそんな風に言えるわけで。。。
正直なところ、同年代の子供たちからはからかわれてもしょうがないかな、と。
その時聞いていて思ったわけです。
私:そっかー、他の人が一生懸命つくったものを汚いなんて言っちゃダメだな~
私:お父さんは◆◆の絵が好きだから、気にすんなよ~
J:先生も○○ちゃんと△△くんを怒ってたよ
私:ほら、そうだよね、だから◆◆は気にしなくていいから
私:◆◆の絵は素敵な絵だって大人だったらわかるんだよ。子供はまだわからないかもしれないから、◆◆は自分の好きなように描きな~
J:うん、◆◆はホントは泣きたくなったんだ~
J:でも保育園では泣きたくなかったんだ
J:◆◆は泣くのはおうちじゃなきゃ嫌だったんだー
私:そっかー、がんばったな~
J:お父さんは◆◆の絵は好き~?
私:そりゃ大好きに決まってるよ~
J:大人だったら◆◆の絵は素敵だってわかるの~?
私:そりゃそうだよ、大人ならわかるのさ~
というわけで。
私からすると次男坊をからかった子たちは器用なタイプに見えます。
二人とも絵も上手ですし、まだ字が読めない次男坊に対して二人とも字が読めます。
そして、いつも次男坊と一緒に遊んでいる子たちです。
私は次男坊とのこんな会話から、彼がその子たちに劣等感を抱いてはいないことに少し安心しました。
「何かをできるできないという違い」は、保育園くらいの時ならいろいろなところで出てきます。
でも、私はその違いをできることなら、子供たちには「ただそのまま」飲み込んでほしい。
「何かをできるできないという違い」が、あんな小さな体で精一杯生きている子たちに優越感や劣等感を与えちゃいけない、とも思っています。
なので。
無垢な子供たちは、ともすればそのコミュニケーションも無垢の抜き身の状態で。
ちょっと相手を傷つけることもあるかもしれないけど。
そんな子供同士の中で。
卑屈になっている風もなく、でも涙をこらえてがんばった次男坊にちょっとうれしくなったのでした。
2021年秋、次男坊5歳の会話です。