どーも、尊敬する人物の一人に鶴瓶師匠がいる親男です。
(大好きです。マジで一度でいいからお会いしたい。)
さて。
鶴瓶師匠と言えば、麦茶。
そう。ミネラルのやつ。
で。
なぜ。
日々の生活の中でもモブキャラレベルのやつをあえてテーマに取り上げたかと申しますと。
それはこんな記事を読んだから。👇。
本日、妻ベリーさんのブログから借りるテーマはこの「麦茶」。
夏の風物詩でございます。
で。
実はこの「麦茶」の問題については、昨年すでに私は果敢に切り込んでおります。
それが👇。
そう。
つまり。
「麦茶の最後の一杯」という言わばババ抜きのジョーカーのような存在を。
いかに人に圧しつけて生きていきたいか。
というある意味哲学的なテーマに挑んだ問題作であります。
ちなみに。
農林水産省の統計データによると。
日本国民のおよそ6割(男性だけに絞ると8割)が「麦茶つくり」はキライだという驚異的なデータ*1があります(出典は👈の脚注参照)。
なので。
妻ベリーさんはその問題に対してYahoo!クリエイターズにソリューションを提供したわけです。
なので。
私は私なりに。
妻ベリーさんとは違う切り口でソリューションをご提供したい。
そう。
別に誰が参考にしなくったって。
ワシは。
そんなこと気にしない。
気にしてられない。
という使命感なわけであります。
では。
最後に世のお父さんのために。
ここに提言したい。
「麦茶つくり」。
この問題をいい加減に終わりにさせよう。
ということで。
麦茶をつくりたくなければ。。。
なければ。
飲まない。
あえて。
飲まない。
飲むから減るわけであり。
減るからつくらなくてはいけないわけで。。。
ありがたいことに。
蛇口をひねれば。
そこに。
水はあります。
あるわけですね。
なので。
つくるとかつくらないとか。
ちょい残しとかちょい残さないとか。
そういった次元を超越するためにも。
あえて。
飲まない。
こんなことを提言したい。
と。
そんな風に思うわけであります。
仮に冷たい麦茶を飲みたいな、なんて思ったとしても。
そこはスマートにスルーして。
蛇口をひねってガブガブただの水を飲む方が。
少し昭和な感じのワイルドさすら感じさせてカッコいいと思うわけであります。。。
。。。
。。。
。。。
。。。
うん。
今日も安定の無意味な日誌であります。。。
なので。
私の心は健康です。
ではまた明日!
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クソどうでもいいことをなんですけど。。。
昔、麦茶は「麦湯」って言ってて。
江戸時代には「麦湯売り」なんていたわけですけど。
それってなんか「茶」よりもワンランク下な感じで。。。
「湯」が「茶」に昇格できてよかったね、と。
というか、そこにはネーミングのプロがいたんじゃないかなーなんて思ったりして。
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*1:ウソですけど。。。