どーも、親の老いを見るのはよく考えると自然なことのはずなのに、どうにも慣れない親男です。
(「親死子死孫死」って一休さんも言ったわけで。。。その順番が理想で幸いであるなら、親の老いを見るってのも幸いの一つのうちになるんでしょうけど。。。どうにも慣れないわけです。)
さて。
今回の年末年始の帰省でどうにも私をやるせない気持ちにさせたことがソレで。
それまでシニアテニスで全国大会に出てたようなお袋が膝を悪くして杖をついていたのは私に少なからず衝撃を与えました。
加えて。
オヤジの車の運転が衰えてきていることがわかり。
車の運転には定評があり、自信も持っていたオヤジの衰えも目の当たりにして。
故郷に着いた早々からどうにも複雑な気持ちになったわけであります。
これって。
いつか「子」なら誰でも通ることなのでしょうが。
そういったことをこれまで自分事として捉えていないくらいのボンクラ息子としては。
やるせない気持ちの年末年始でした。
で。
実家の「物」の多さはご多分に漏れないので。
日常の動線の悪さったら、人間工学的にどうこう言う以前の問題やで。。。
そこに父母双方が膝を悪くして室内でも杖を付き始めたのを見ていると。
やるせない気持ちの二乗。。。
そこに、新年の地震。
動線の悪さ程度だったらまだ良かったのに。
安全に関わるような本棚、本棚、本棚がマジで怖い。。。
足腰がシャンシャンとしている頃なら。
老夫婦が好きに暮せばいいじゃん、くらいに思っていたのですが。
さすがにこのままでいいわけないよ、と。
本棚(家具)のことや、健康のこと、資産・生活のことなんかを正月の宴会の席で話題に出したのですが。
頭の方はまだ衰えていないので「何を言うか」くらいで聞き流されました。。。
めんどくせーなー。。。
心配してるのにさ。
しかし、昭和全盛期に結婚して子育てした団塊世代なので。
完全に私の価値観とは違うわけで。
めんどくさいのも当たり前か。。。
って諦めてても始まらないので。
正月の間中、とりあえず今後この夫婦(と子である私)に訪れる様々なパターンについて何通りも考えてみました。
これまでの職業経験で。
リスクマネジメントとしてパターンを考えて。
それに対する方法を考えるのは容易いのですが。
容易くないのは。
親の意識の問題。
ビジネスシーンなら。
わからんチンはそれなりにいるものの。
理詰めや事前のすり合わせなんかで交渉を進めることも可能なのですが。
こと、この問題は親の生活・人生・意識が雁字搦めになっている問題なので。
探偵ナイトスクープのオープニングで言うところの「複雑に入り組んだ現代社会」の縮小版がそこにあるわけであります(「複雑に入り組んだ親の意識と生活」的な。)。。。
簡単に「メスを入れ」られねーわ。。。
あーあ。
めんどくせーなー。
ということで。
年末年始。
曇天模様の日本海側の冬は。
さらに重く私の気分に覆い被さってきたのでした。
で。
この後の一手をどう考える、ワシ。。。
「老夫婦の生活」とか言ってる場合じゃない。
もう待ったなしや。
まず私は。
長男坊の受験のバタバタが過ぎたら。
妹(私は兄妹二人です)と話し合おうと思っています。
まずは子ども同士の意識のすり合わせが重要かな、と。
そこでお互い異論や齟齬がなければ。
今度はオヤジとお袋にまた会いに行って。
ある程度改まった形で話そうと考えています。
とにかく先手を打ってやるぜ。
オヤジとお袋がこれまで頑張ってきた夫婦生活の集大成を。
オヤジとお袋を含めた家族の誰かが不幸になる形で終わらせてなるものか!
とか。
いろいろ考えてとにかく前を向こうなんて考えているわけであります。
やるしかねーだろ、ワシ。