親男日誌 ―4人きょうだいとベリーさんと私―

都内で夫婦共働き、4人の子育て(ナルニア物語と同じ男→女→男→女)、妻はベリーの暮らしのベリーさん、そんな家族のお父さんのブログです

【校長の話が】つまらないわけ。

どーも、小学3年のころの担任の先生が、全校朝礼の校長の話の要約を毎週課題にしていて、そこはかとないストレスを感じていた親男です。

(そもそも中身のねーよーな話してんだから、要約もクソもないだろと思ってました。)

 

さて。

 

この時期。

子どもたちの卒業式と入学式で。

式典参加率が格段に上がるわけですが。

(わが家は長男坊と長女の二人がそれぞれ高校と中学になります。)

 

そのたびに思うことは。

どうして校長先生の話というものは。

かくもつまらないのだろうと。

 

いい校長先生だろうが。

普通の校長先生だろうが。(いち保護者の立場としては悪い校長に会ったことはないですが。。。)

話の面白い校長に出会ったためしがないのはなぜなのか。。。

 

これは決して揶揄しているわけでも、悪口を言おうとしているわけでもなんでもなく。

数十年前の私の子どものころを思い出しても。

やっぱりつまらないし。

「うっひょー、今日も校長先生の話、サイコーだったぜ!腹いてー!」

なんて感想は。

日本を見回しても、古今を問わず、聞いたことはないわけです。

(日本史上の全学校の0.000001%くらいはオモローな校長先生はいるでしょうけど。それは特殊すぎて除外して考えてもいいはず。)

 

で。

この辺をまじめに考察してみなくてはいけない。

 

というわけでもないけど。

 

式典中の校長先生の話があまりにもつまらないので。

つらつらといろいろと考えていたわけです。

 

 

私が思うその理由は二つ。

 

まず一つは。

 

没個性人材=ことなかれ人材。

を求める「校長職」というシステム。

 

つまり。

≠突出した人材。

なので。

突出した人材を「校長職」が排除するシステムなのではないかと推測します。

 

私は教育業界に疎いのでそれがホントのシステムなのか、あくまでも推測ですが。

文科省👉教育委員会👉校長職という伝達フローの中で。

その上意下達に個性を差し挟まず、いかに学校運営に反映させるかが。

現状の「校長職」に求められていることなのではないかと思うのです。

 

なので。

オモローな人よりも。

コトナカレーな人が歓迎されるのではないだろうか。

 

それがいい悪いはここでは言いませんけど。

 

そんな校長先生たちが毎度異口同音で言う「個性的な人材」っていったい何なんだろうなー。

なんて思います。

 

 

で。

もう一つは。

 

単純にプレゼンテーションスキルを培ってこなかったことに尽きるのかなと。

 

オーディエンスを想定して。

どうすればウケるのか。

どうすればシラケるのか。

どうすれば響くのか。

どうすれば怒るのか。

どうすれば呆れるのか。

どうすれば笑いが取れるのか。

効果的な話し方の順番は?

声の抑揚は?

ボディランゲージの使い方は?

目線の配り方は?

笑みを浮かべて話すときと真剣に話すときの差は?

なによりも。

目の前のオーディエンスは何をオモローと思っているのか。

 

こういったことに全然意識がいってない結果が。

校長先生の話がまったくつまらない。

パフォーマンスとしてなっていないことにつながってしまっているのではないでしょうか。

 

この辺はある程度の場数とトレーニングで。

獲得できるスキルだと思うので。

その辺を怠っているのだろうなー。

なんて思うわけです。

 

 

というわけで。

 

そんなことを校長先生の話し中。

つらつらと考えていて。

 

そしたら。

もう一つ。

疑問が湧いてきました。

 

なんで。

どーして。

校長先生だけ。

燕尾服なの?

 

フツーの先生が燕尾服を着たら、怒られるのかな?

保護者に何人も燕尾服がいたら、校長先生的にはいやなのかな。。。

 

なんてくだらないことを考えるイヤな保護者なのでした。。。

 

 

 

ったく。

マジメに話し聞けよな。。。

そういや何年か前も似たようなこと書いたな。。。 ©親男
 

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