親男日誌 ―4人きょうだいとベリーさんと私―

都内で夫婦共働き、4人の子育て(ナルニア物語と同じ男→女→男→女)、妻はベリーの暮らしのベリーさん、そんな家族のお父さんのブログです

【放送事故】クソガキの放送委員会の思い出。

どーも、小学生のころ、学級委員と放送委員会が花形だった親男です。

(うまい具合に裏工作が功を奏してどっちも経験できました。。。)

 

 

さて。

 

 

新学期が始まり。

いよいよ高学年になった長女小ベリーが放送委員会に入りました。

 

本人の希望通りだったみたいで、嬉しそうに報告してきたわけですが。。。

 

そう、かつては私も小ベリーと同じ5年生のころに放送委員会に所属していて。

 

いろいろと仕出かしていたわけであります。。。

 

 

 

放送室はそれはそれは魅惑的な機器で満ちていて。

 

マジ、ワクワクが止まらねー。

ロマンティックも止まらねー。って感じです。

 

自分が放送局の一員になったみたいで。

めちゃ興奮。

 

しかも防音設備で完全に封鎖された空間で給食を食べることができる特権。

(うちの小学校は昼の放送時間に当番だったら給食を放送室で食べることができたんです。)

 

インストゥルメンタルなら自分たちの選曲を校内に流せる特権。

(シングルにあるカラオケバージョンをよく流してました。)

 

お話の日(確か水曜日)だったら自分たちで選んだお話で演者も自分たちで放送できる特権。

(そう、この特権で担当教員から大目玉を喰らうことになります。。。)

 

そして、テレビ放送の日はカメラ機材を操作して、放送室にあるスタジオから放送できる特権。

(この特権もまた、私たちは教員から大目玉を喰らう要因になるわけです。。。)

 

 

まず。

お話の日ですが。。。

 

その日、私たちは昼のお話に日本の昔話を選ぶことにしました。

 

図書室で借りてきても良かったのですが、そこまで律義でもなかったので。

手っ取り早く放送室にあった苔むしたような放送用の昔話台本を引っ張り出してきて放送することにしたわけです。

 

今ごろの時期だったので。

入りたての1年生の子たちに気を使って、できるだけわかりやすくて面白そうなやつを選びました。

 

その話のあらすじはもう忘れちゃいましたが。

その中のエピソードで、お尻の穴にタクワンの切れっぱしを詰めておならを我慢する、というものがありました。

 

男子二人と女子二人でそのお話を演じ切り、結構満足感があったわけです。

放課後帰宅したら、小1で入学したての妹も大喜びで。

お兄ちゃんの放送が面白かったと。クラスでも大爆笑だったと。

そんな風に言って兄の私もうれしかったわけです。

 

で。

その次の放送委員会の週次会議の時に。

てっきりと私は。

先生からお褒めの言葉を預かるのか、くらいに思っていたのですが。。。

 

担当教員であるちょっと年齢高めのおばさん先生は。

委員会に入ってくるなり、唇を震わせて。

怒り始めたわけです。

  • あまりにも下品
  • 聞くに堪えない
  • 自分のクラスだけ放送を切ろうかと思った
  • 食事中に放送していい話ではない

みたいな感じでヒステリックボンバーであります。

 

ま、一応、こっちも悪気があってやったわけじゃなかったし。

実際ウケていたわけなので。

絶対に謝りませんでしたけどね。。。

先生もこっちの態度に押されて結局最後はぼやきながら委員会終了。

 

今思えば。

視聴率が取れれば何をやってもいい昭和のテレビの雰囲気だったのかなと。

 

体制に気に入られることと大衆が好むことの差を感じた小5の春。。。

 

 

そして。

本気の大目玉を喰らったのは。

テレビの校内放送があった日。

 

校内放送は何かで賞を取った子を緊急で表彰したり。

そんな感じで使われていた記憶があります。

 

その日も校長やらゲストやら先生やらがワラワラと放送室にいて。

私たち放送委員会は機材の準備を先生と行い。

モニターでスタジオの中を確認しつつ放送。

 

給食時間が残り10分程度残っているところで放送は無事終了。

校長も先生たちも三々五々放送室から帰っていきました。

 

その日、放送室の担当は男子のみ4人。。。

 

これがすべての元凶。

 

モニターとカメラがある私たちは順番にスタジオに入り。

一発ギャクをカメラで撮って。

外にいるその他の奴らがモニターで確認してゲラゲラ笑うという。。。

 

そのうち、一人がドリフターズの加藤茶のマネをして。

「ちょっとだけよ~」とやり始めたものだから。

 

一発ギャグの方向は一気にお色気路線に。。。

 

ホント、小5の男子ってくだらないわけで。。。

アホなことを数分やり続けていました。

 

そのアホ男子たちは。

 

校内放送が終了したら。

クラスのテレビはスイッチを切られるはずで。

しかも、まだ校内放送用のスイッチが入りっぱなしであるなんて思ってもみなくて。。。

 

実際のところ、学校の中でたいていのクラスは校内放送が終了したらテレビのスイッチをすぐ切ってしまっていたので、問題がなかったのですが。。。

 

たった一クラスだけ。

残りの給食の時間。

ずっとテレビをつけ続けていたという。

 

それが私の野球部の顧問の先生のクラスで。

 

そのクラスの子たちは私たちのギャグをずっと見続けていたという忘れたい現実。。。

 

。。。

 

。。。

 

。。。

 

その後。

放課後、野球部で大目玉を喰らい。

あの放送を視聴したクラスの学年の子たちからは好奇の目にさらされ。

 

えらい恥ずかしかった。。。

 

 

 

ということで。

 

娘が同じ放送委員になったと聞いて。

急に👆みたいなことを思い出しました。

 

とはいえ、やっぱり放送委員会は楽しかった。

いい思い出です。

 

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東京タワーの正式名称は「日本電波塔」 ©親男
 

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