どーも、なんとなくやんわりこのブログをベリーさんに認められたような雰囲気の親男です。
これで晴れて安心安全の公認。よかったよかった。
。。。ということに勝手にしちゃおう。
さて、今回の題材は昨日(3/16)のベリーの暮らし「進級準備。次の学年の予習を進めてます」。
ベリーさんのふんどしで相撲を取る作戦第2回目が「子供たちの学習」がテーマとは。
歯ごたえあるな。。。
で、それはなぜなのかと。
我が家の「子供たちの学習」に対して私とベリーさんの比率で言うと、およそ1:9。
圧倒的にベリーさんに見てもらっているという事実があるわけです。
ベリーさんはその昔学生の頃、複数の家庭で家庭教師をやったり、塾講師をやったりしてきた経験があるので、横で見ていてもとても上手に子供たちの学習環境をつくり出しているなあ、なんて思うわけです。(もちろんトライ&エラーの部分もありますが)
で、小学校低学年の頃は私にも勉強のことを聞いてきた上の子たちは自然とその量が減っていき。。。
ついには1:9というジリ貧のシェアにまで落ち込んだ、という字面だけ見ると切ないお父さんの哀愁が漂う結果となったのでした。
が。
私は悲しくない。哀愁もない。それでいいのだ。
と思っています。(いやホントに)
なぜなら。
私が中途半端に口を挟むと子供たちにとって学習のダブルスタンダードができてしまうからです。
子供たちにとってみれば、お父さんの言っていることとお母さんが言っていることが違う、ということは、学習方法に限らず悲しいことだと思うんです。
なので、私はこのような状況でも悲しくはない、むしろ望ましいこと、と思うわけです。
ただ。。。
こんな風に偉そうに考えている一方。
完全に実践できているのかと言えば、そうでもないシーンもあり。
(ベリーさんとケンカした時なんかは特に)
ブログ書きつつ、改めて反省したりなんかして。
結局のところ少し哀愁が漂うわけであります。