どーも、全日本映えないおっさんの会、会長の親男です。
(「映え」はおっさんの敵です。)
さて。
前回、私がブログを書く動機を↓みたいな感じでご紹介しました。
つまり「ベリーの暮らし」でごくたまに登場する私が、イメージが極めてよろしいのに対して、少しホントのところをご紹介したい、というところが私がブログを書く動機ですと、そういうことを言いたかったわけであります。
で。
よくよく考えると。
別に私は悪人でもないですし(たぶん)、自称はイケメンなわけですので、何を困ることもなかったのですが、実際と行間から想像できるイメージの差に少なからず抵抗を感じたのは、一体全体なぜなのか。。。
つまり。
そこがブログを書きたかった動機の二つ目になるわけです。
その動機をご紹介する前に、ちょっとGoogleの検索結果をご覧いただきます。
↓↓↓
「ベリーの暮らし」を画像検索した結果です。
いくつか我が家でない画像も混じっていますが、ほとんどが写真家の方やベリーさん自身が撮った写真です。
特に、私は強制ミニマリスト(つまり貧乏)下宿で独身時代を過ごしていたので、こういった清潔感あるような生活に慣れがなく、こんな検索結果を自分自身で見ただけでも「スゲー」なんて思ったりもいたします。
(ちなみに私のかっこいい貧乏独身時代はこちら→「私のミニマリスト体験 」)
で。それら画像をご覧いただいた後に、ご紹介したい二つ目のブログを書く動機とは。
どこかの知らない誰かのプレッシャーになるのは嫌だったから。
つまり。
産後の間もない時期に、陽光きらめく、日曜日に、フレンチトーストを焼く夫がいて、子供たちが幸せそうに遊んでいる光景がデフォルトでたまるかと。
そんな光景が、日本の子育てのデフォルトでたまりますか、という話です。
我が家でも、産後クライシスだってありましたし。
つわり中のベリーさんがダウンしていて、ワンオペ育児でテンパって子供たちに怒鳴る私がいたり。
で。怒鳴りすぎて、自分が落ち込んで、夜子供たちの寝顔に謝ったことが何度あることか。
もう、いっぱいいっぱいで頭がフリーズして、子供たちに録画した幼児番組をエンドレスで観させてしまって。
それをまたさらに落ち込んだり。
つまり、そういうことがない交ぜになって、生活というものが成り立っているのであって、どこかの側面だけ切り出したら、そりゃあ、かっこよくも映るし、「素敵な夫さん」ということにもなるでしょうし、まあ、そういうことがそれだけの感想で済むなら別にいいんですが、もしかして誰かのプレッシャーになるんだったら嫌だなと。
「あー、うちはそうじゃないからつらい。。。」みたいな。
「ベリーの暮らし」で、別にベリーさんは全然盛っていませんし、むしろもうちょっとカッコよく描いてもいいんじゃない、と思うところも結構ありますが。
例えば、
写真映えしないけれど、「簡単手間なし低コスト」な手巻き寿司 - ベリーの暮らし
だったり。
例えば、
夫の目線:日常に「映え」は必要ない - 親男日誌 ―ナルニアきょうだいとベリーさんと私―
っだったり。
ただ、私が何か書けば、「ベリーの暮らし」を多面的に見てもらえていいかなと。
それによって。
私たち夫婦や家族の水面下のバタ足の部分もあるってことを、想像してもらえたら、ありがたいなと。
生活の一部を切り出したカッコいいところだけが子育てでも、結婚生活でも、家族の生活でもないんだよと。
まあ、そういうことの役割を「ベリーの暮らし」のもう一方の側面であるこの「親男日誌」でご紹介できたらいいなと。
そういう風に考えたわけであります。
ということで。
私がイケメンであることは、事実でしょうがないにしても。
キレイなだけの結婚生活も家族生活も子育てもない。
ということを、イケメンだけど映えないおっさんが声高に叫んだりするものであります。