どーも、よく「卑怯くさい」なんて言いますけど、この場合の「くさい」の部分に言い切りを避ける文化を感じる親男です。
(「卑怯だ」って言えばいいのに、「卑怯くさい」って言葉でマイルド感を出すという。。。)
さて。
私が子どもの頃からいまだに思い続ける疑問ってものがありまして。
それが。
タイトルにもしましたけど。
「卑怯者は自分の言動をどう思っているのか」ということ。
(ちなみに言動は「言う」ことだけじゃなくて、「行い」も含んでいます。結構間違えている人がいるので、一応注釈。。。)
もしも卑怯者が自分の言動を卑怯だと認識しているなら。
そいつは自分のことが嫌にならないのだろうか。
でも、もしもそいつが自分のことを卑怯だと認識していないなら。
それはもはや「卑怯」ではなく。
素のそいつなわけで。
ただのたちの悪いやつ、ってだけになるわけです。
それをもって考えてみますと。
「卑怯」かそうじゃないかというのは。
当事者が決めることができないもので。
第三者が決めるしかないことなのかもしれなく。。。
ということが成り立つなら。
そもそも。
自分自身が卑怯かどうかという認識は不可能。
ということになるのかもしれない。
なんて思ったりするわけですが。
それってホントなの?
それでいいのか?
もっとホンキ出せよ、卑怯モノたち。
お前は他者が認識しない限り、卑怯モノとして成立しないなんて。
しかも。
自分で認識した瞬間に。
お前の存在は雲散霧消。
なんて脆弱な概念なんだ!
それじゃあ、ダメだ卑怯モノ。
よし、ここに。
卑怯モノの卑怯モノによる卑怯モノのための会を立ち上げよう!
題して。
全日本卑怯モノ連合会。
会則の第1条はこうだ!
一つ!
私たちは自分以外を卑怯モノだと認識します!
第2条はこうだ!
一つ!
私たちは自分自身を卑怯モノだとは認識しません。
第3条はこうだ!
一つ!
間違えているのは、この会に入っていない奴らです。
うん。
いいぞいいぞ。
それでこそ、卑怯モノだ。
まさに卑怯モノの鑑。
あっぱれ卑怯モノ。
ビバ卑怯。
。。。
。。。
。。。
。。。
。。。くだらね。
ということで。
本日。
保育園の送り迎えの途中に頭来るほど卑怯な奴にあったんですね。。。
あんまり腹が立つから。
ブログでなんか書いてやれ。
って思って書いたら。
またまた意味不明ブログ記事の出来上がりであります。
頭にきている時に。
ブログを書いちゃいかん、ワシ。
ダメだぞ、ワシ。
つーことで。
でも。
ちょっとだけ溜飲が下がったから、まいいや。
頭にきたのはホントだけど。
ブログ記事のネタ1本になったから許してやろう。
。。。いろいろと。
やれやれだぜ。