どーも、若かりし頃、歴代のおバカ上司たちから協調性のなさを指摘され続けてきた親男です。
(協調性がないんじゃなくて、お前に従順じゃないだけだろ、言葉に気をつけろ、バーカって毎回思ってましたけど。)
さて。
そんな協調性のない私ですが。
妻ベリーさんと育児をはじめて、かれこれ15年目。
聞こえがいいのは
「『夫婦二人三脚』で頑張ってきました。」
って言えることなんだと思うんですけど。
ホントにそうなのかな?
と、自分自身が疑問に思うことは。
正直なところ、大げさでもなんでもなく日に何度かあります。
例えば。
本日の「ベリーの暮らし」の以下の記事👇👇👇。
この工夫ですが。
子どもが多くても少なくても絶対便利だと思います。
上の子チーム(中3長男坊と小6長女)だけのときでも。
メチャクチャありがたかった記憶があります。
で。
問題なのは、ワシはいつでもこういった工夫を享受するだけで。
そこに育児に対しての主体性はあるのか?
と思っちゃうわけです。
いや、こと今回のこの工夫だけに限らず。
全般的に。
お前は主体的に育児を行っているのかって疑問は常にあります。
夫婦二人三脚で育児ヅラして。
一丁前のツラしてるだけじゃん。
と。
もしも。
主で育児を行っているのなら。
当然感じるべき不足や不安、不満はあるはずなのに。。。
そういう感覚に陥ることなく、お気楽極楽で育児をしているのって。
それってホントなの?
ということなわけです。
もしも自分が。
補佐。
サポーター。
補助。
といった立場なら。
不足や不安、不満は感じずに任務をこなすことができるってのは。
今までの職業経験からも想像できて。。。
主担当になった途端に責任やプレッシャーを感じるわけです。
同じ業務を行っていたのに、です。。。
って、こういったワシの個別具体な感覚を。
「夫の」なんてタイトルでまとめちゃいけないってことも重々承知していますけどね。。。
案外、日本男性にとっての当たらずとも遠からずな感覚じゃないのかな、なんて思うわけです。
ということで。
ベリーさんの工夫を読んだだけで。
思いの外、暗い内容になって。
驚くワシ。
まあ、昔から育児に対して補助的な役割を臭わせる「イクメン」って言葉はヘドが出るほどキライだったわけですが。
じゃあ、そんなお前のマインドはどうなんだって考えると。
所詮は似たりよったりであり。
ワシのイクメン嫌いは。
つまりは「鏡で見た自分が嫌い」ってことだったのかもしれないわけです。
。。。
。。。
。。。暗っ。
つーわけで。
あんまり暗いのでちょっとは明るくなることを書くとすると。
ワシ、今👇のような7年前の日記を毎週土曜日書いています。
現在4回ほど続けているんですけど。
7年前の自分の日記を読んでいてつらいのは。
かなり育児に主体性がないって点。
オメーもうちょっとしっかりしろよ、って7年後の現在のワシは思うわけです。
ということはですよ。
ということは、この7年間でワシはちょっとは育児に主体性が出てきているわけで。
妻ベリーさんと比べれば微々たる責任感かもしれないけど、7年前に腹が立つってことは少しは今はマシになっている。
。。。
。。。
。。。はず。
うん。
そのはずだ。
ってことを考えると、あと7年後はさらにパワーアップしてて。
天に召される頃には無敵になってんじゃね、オレ。
。。。
。。。
。。。と、無理に明るくしようとして自滅するのでした。
なんだそりゃ。。。