どーも、プライドと単なるこだわりをこの歳まで混同していた親男です。
さて。
トートツですが。
プライドって大事なものだと思います。
それがなかったら。
単なる木偶。
息を吸って飯を食って寝ているだけの存在。
みたいなもんだと思うのですが。
最近。
私が気がついたことがあります。
「プライド」だって自分で思い込んでいたものが。
実は。
単なる強めのこだわりなだけで。
本質、根幹では別に大したことのない可能性のあるものだということに。。。
。。。
。。。遅っ。
と言いますのも。
私は。
特に若い頃。
自分自身の「矜持」に頼って。
まあ。
よく上司や歳上の「使えない」人々とケンカしてました。
ですがまあ。
未だにこの歳になっても。
そういった連中には常にカリカリしていたのですが。。。
その「矜持」ってものはホントに頼っていいものか。
「使えない」人々は勝手にその烙印を押して対応していいものか、と。
思うようになったわけであります。
実は。
もっと上位に大切なものってあるし。
それが戦略上(もしくは戦術上)、こだわってもあまり意味がなかったりして。
しかも。
「使えない」人々を使えなくしているのは自分自身であり。
使えるように工夫すらしていないことはいかがなものなのか、と。
(人を使える・使えないで表現すること自体、いかがなものか。ということは一旦置いておいて、大目に見ていただきたいでござる。)
つまり、まあ。
無駄な摩擦なんて起こさなくたって。
案外と自分がもっとも大切なものは守れるもんだな、と。
そんなことに今さら気がつくわけです。
確かに。
実際。
頭の悪い人も。
性格の悪い人も。
色々いるわけですが。
(たいていおっさんなわけですけど。)
その辺と対立や対峙、はたまた勝ち負けで応じること自体がガキだなと。。。
今さらながら気がつく処世術。
遅きに失した感はあれど、自分で気がつけたから案外ワシはまだまとも。
かな、なんて思ってみたりするわけであります。
というわけで。
んなこと、ったりめーだろ。
なんてこれを読んで思われる方もたくさんいらっしゃるかもしれませんが。
まあ、かつて猪突猛進の猪武者だった若造は。
ようやくその辺の一連の行いが無駄だったことに気がついたと。
そういうお話であります。
うん。
こういうのを老化。
というのか。
老練。
というのか。
はたまた老獪。
というのか。
どう表現するのかわかりませんけど。
ホントに大事なもの=プライドの前に。
勝手に自分で思い込んでいた強めのこだわりなんて。
案外些細で些末だった。
と思ったわけであります。
うん。
書けば書くほど当たり前を書いているように思うけど。
まあ、自分で気がついた記念でここに記録するものであります。