どーも、給食のスイカをどこまで食べられるか勝負していた親男です。
(歯で皮をこそげながら、この勝負に勝って何か得るものがあるのか、禁断の疑問を持ってしまった小学時代。。。)
さて。
先日、こんな記事を書きました。
👇👇👇
内容は保育園に通っている下の子チーム(5歳、3歳)から教えてもらった給食のメニューの名前が分からない、ってものです。
で。
その本文はさておき。
冒頭の枕で私が紹介しているのが「ソフト麺」で。
今回、めでたく本文に取り上げられることになったわけであります。
ソフト麵はいたって控えめに言って。
めん類の最終進化系。
つまり。
めん類の宿命として。
常にツユ、タレ、ソースに左右され続ける、というものがありますが。
「ソフト麺」はその宿命をまさに超越した存在、といっても過言ではないわけであります。
めん類は基本的にのど越し、食感、コシ、風味、水分、太さなど。
いくつかの属性によって最適なツユやタレ、ソースが選ばれるわけですが。
「ソフト麵」はそのすべての属性においてほぼ「真ん中(かちょっと下)」。
中庸。
とでも言いましょうか。
強烈な無個性、という名の逆説的な個性。
とでも言いましょうか。
北斗の拳に例えるなら。
すべての技を受け流して倍返しする「無想転生」。
それが「ソフト麺」なのであります。
ソフト麺はミートソースにも、ラーメンのツユにも、八宝菜をぶっかけても、すべてを己がものにするという懐の広さで。
加山雄三さんで例えるなら。
『海よ俺の海よ 大きなその愛よ』で有名な『海 その愛』。
それが「ソフト麺」なのであります。
ということで。
つい私の「ソフト麺」愛がほとばしってしまいましたが。
大人になってから全然食ってません。
そう。
大人になって好きなものを食えるようになってまで、あえて食いたくないのがソフト麺。
ちょうどそれくらいの存在。
B級グルメくらいの存在なくせにB級グルメにエントリーしてこない奥ゆかしさも持っているわけです。
ビニール袋に入って。
半分板状に固まっているのを、封を開ける前にどんだけもんで麺状に復活させるかが、食べるときのコツで。
うっかり先走って半分板状の状態でツユやソースに投入すると、ガチで絡まなくて。。。
なんとなく味のする謎の小麦の塊りを喰うという憂き目にあうわけです。
なので。
当時の私のクラスではみんな食べる前にワシワシともみ込んで麺状に戻していました。
そんな思い出のソフト麺。
アルデンテがどうとか。
メンのコシがどうとか。
小麦の風味、蕎麦の風味がどうの。
と御託を並べる前にぜひ食べてみることをお勧めいたします。
すべてのめん類を超越する存在。
それが。
ソフト麺なのであります。
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