どーも、妻の辞書にあって私の辞書にないものなんて考えるとほぼ「まっとうなものすべて」という現実を目の当たりにして落ち込む親男です。
(そう、私とベリーさんはまったくの真逆人間なので、おそらく周辺はいまだになぜ結婚したのか疑問に思っているはず。って大きなお世話だ)
さて、本日、「ベリーの暮らし」からテーマに借りるのはこちら↓。
この記事の中に双方の実家に対してのプチ贈り物が取り上げられています。
ベリーさんは実家に限らず、さまざまにお世話になった方々に、こういったちょっとした贈り物や一筆箋でお礼を伝えたり、近況を伝えたりするのが非常に上手です。
相手の負担にならない程度の適度な軽さというか、自分自身も構えないで自然体で贈れるものというか、いつもうまいなぁと思っています。
一方、私はというと。
そういった軽やかさと言いましょうか、自然体と言いましょうか。
そんなナチュラルにするのが大の苦手。
ちょっとした贈り物も選ぶ間に2か月くらい余裕で経ちますし、挨拶の気持ちを伝えようとしても季節を二つくらい跨いでしまうこともざらです。(さらには結局「時季がずれちゃったら逆に失礼だよね」的に自分を納得させて贈ること自体あきらめたり。。。)
贈り物がうまいって、私の中ではなぜか「大人の証」的に感じている部分がありますので、是非ともそうなってみたいものでありますが、何がそうさせるのか、うまくいかない。
もうできないのならいっそ念力なんかで、自分のお礼の気持ちを直接相手の脳内に送り込みたい、という気持ちにもなるわけであります。
(迷惑でしょうがね。。。)
で。
言い訳ではないんですが。
もう伴侶が上手なことって、片一方が上手になる必要なんてないんじゃないかってことです。
時間も労力も無駄ってわけであります。
どっちかができてれば、その家庭で困ることはないわけですし。
だったら、上手な方に大いに頼ればいいって話なわけです。
うん。週末にいい理論でまとまった!
ただし。
この理論にはよくよく考えると重要な前提がありますね。
夫婦仲が円満であることって。
うん。嫌われないように頑張ろう。