どーも、家族の中心はお母さんに限ると思っている親男です。
(私の実家が家父長制ゴリゴリだったので、そういうのを見るはマジでうんざりなわけです。。。)
さて。
わが家は夫婦と子ども4人の6人家族ですが。
6人全員で行動するということが。
子どもたちの成長に合わせてめっきり減っています。
それは、ちょっと寂しい反面。
元気に成長している証でもあるので、喜ばしいことかな、と思います。
で。
親側の。
妻ベリーさんは。
家族みんなのハブであり。
ベリーさん以外の5人の関係性において。
すべてにおいて密につながり。
わが家のコア。
という。
その人が。
家にいない。
という珍しい事態が発生したときに。
面白い現象が起こります。
(つまり子どもたちの誰かが不在にしているときとは、まったく違う反応になるのです。)
ベリーさんが家族のコアということは。
コアが抜けたら。
一気に駄目になるかと言うとそうではなくて。
逆に。
「お母さんがいないんだから」という。
踏ん張りになっている気がするわけです。
ベリーさんが。
つわりだったり。
産後だったり。
病気をしてしまったり。
そんなときに。
子どもたちは「お母さんがいないから」と。
割に自律的に動こうとしてくれます。
と言いますのも。
家族の5人のそれぞれがベリーさんに依存している分。
普段はその依存が「甘え」にも繋がりかねず。
なんだかんだでフォローやサポートしてくれるベリーさんに頼って。
つまり、そういう状態に陥りがち。
ですが。
非常に逆説的な話しなのですが。
ベリーさんがいないと。
逆に「(お母さんが)いないから」が合言葉になって。
普段、私やベリーさんから「やりなさい!」と言われなければやらないお手伝いを。
知らん間にやってくれていたりするわけです。
不思議。
と思えば不思議ですが。
当然。
と思えば当然。
ということで。
家族は何か不足のときに補う力があると思います。
大げさな感じの言い方ですが。
たぶんだからこそ家族なんじゃないかと思うわけです。
で。
なんでこんな事を書いているのかというと。
今日はめずらしくベリーさんが職場の飲み会で不在。
なのに、下の子チーム(小2、年長)の二人が。
うるさく「やりなさい!」を言われることもなくやっているのを見て。
ふと考えたことなのでした。
家族のそれぞれは。
間違いなくかけがえのないものですが。
だからといって。
誰かがいないからといって「家族」が機能しないってこともないもんだと。
つくづくと思うわけなのであります。