どーも、そもそも子どもの頃、父親と遊ぶということがほぼなかった親男です。
(遊んでもらってない、ということもなかったのですが、一緒になってはしゃいで遊ぶということは皆無でした。最終的にはなんだか説教臭いことになっていた気がします。。。)
さて。
わが家は。
ありがたいことに年の離れた子どもたちが4人いるので。
私と妻ベリーさんは。
上の子チームと下の子チームで、2度子育てを体験している感じです。
今も夕飯までの短い間。
次女ぽにちゃんはベリーさんを誘ってスーパーマリオのゲームをしています。
下の子チームはまだまだベリーさんにべったりですし。
私にもそれなりに甘えてきます。
次男坊ピノッキは毎日毎日私とゲームや映画、今読んでる本、友達との遊び方なんかをノンストップおしゃべりで教えてくれます。
(スイッチがないのかってくらいおしゃべりし続け。。。)
楽しいですし。
かわいいですし。
憎ったらしい(ときもある)わけですが。
と同時に。
私は。
上の子チームたちの親離れっぷりを考えると。
下の子チームたちの親離れがすでにカウントダウンされているような気になるわけです。
中学になってもワシやベリーさんにべったりじゃあ。
それはそれで困ってしまうので。
親離れの儀式はいいことだと思いますし。
そうあるべきなんだろうと思うのですが。
気がついたら離れていってしまっていて。
いよいよ寂しい気持ちになるのかなーなんて思うわけです。
ワシが思いますに。
もしも上の子チームだけだったら。
こんな焦りにも似た寂しさは感じなかったように思います。
上の子チームの状況に鑑みて。
下の子チームのこれからを想像できちゃう焦りと寂しさ。
あと、どれくらい手をつなげるのか。
あと、どれくらい甘えてくるのか。
あと、どれくらい屈託なく「ねぇ、お父さん知ってた?」と話しかけてきてくれるのか。
あるべき成長の形なのかもしれないですが。
ワシはやっぱり寂しいわけです。
フツーに考えると。
小3坊主と小1女子を見ているだけでそんな寂しさは覚えないのかもしれませんが。
上の子チームの成長っぷり、離れっぷりがあるので。
ワシにはそのカウントダウンが見えてしまうのです。
ということで。
心配性で。
湿っぽい話になっちまいましたが。
楽しいもんは楽しいし。
うれしいことはうれしいし。
寂しいことは寂しいわけです。
そうすると。
下の子チームと遊べる時間。
自転車の後ろと前に乗せて小学校の近くまで乗せていってあげる時間。
家族みんなで旅行に行く時間。
全部が大事でかけがえのないものに感じるのであります。
(って最後まで湿っぽい話だな。。。)

