先日、食卓に上がったトマトを食べながら、昔と今のトマトの味の違いについてベリーさんと話をしました。
私たちの子供の頃のトマトは、もっと美味しくなかったように思います。
色は熟した赤というよりもピンクっぽくて、大ぶりで中はスカスカ、しかも大味。
きれいな丸ではなく、先っちょが尖がっている形。
果肉の部分は、細かい粒子のようなツブツブ感で、舌触りもあまりよくない感じでした。
挙句の果てに味付けはたいていがマヨネーズか塩。
今でこそ、バルサミコ酢、オリーブオイル、クレイジーソルトやらで工夫した食べ方があるものの、昭和のお母さんたちは無敵調味料のマヨネーズを謎の星型の穴から盛大に回しがけしてくれたものです。
でも、そんな大味トマトも今は昔。
平成に入ってからは甘くてジューシーで綺麗な赤のトマトばかりで、そんな「バカトマト」にはあまりお目にかからなくなりました。(成長しすぎた大ぶりな味わいの野菜に「バカ」をつけるのはなぜなのだろう……)
と、そんな話しになった時、20年ほど前に、見ず知らずのお宅で食べた「マヨネーズをかけたバカトマトの味」を思い出しました。
働き始めの当時、平日は目一杯仕事に精を出していたので、たいていの休日は抜け殻状態でした。
が、その土曜日は初夏で晴天。非常に気持ちのいい日でした。
なので、花の独身が休日を無駄に過ごすことに引け目を感じ、思いつきで電車に乗ったわけです。
その行先をなぜ選んだのかは今ではもう思い出せませんが、辿り着いたのは三崎港でした。
(今改めて三崎港までのアクセスを調べたんですが、京浜急行三崎口駅からバスに乗らなければ行けないんですね。バスに乗ったことなんて全然憶えていませんでした)
海鮮を食べたいとか、城ケ島を観光したいとか、特にそんな気もなかった私は、取りあえず近くのコンビニでビールとつまみを買ってブラブラしていました。
出発を思い立ったのが午後でしたので、時刻はすでに夕方近く。
帰れなければどこかの居酒屋で飲んで、適当に野宿するか安宿を探せばいいやくらいに思っていました。(当時はそんなことばかりやっていました)
で、海辺のスポットでビールとつまみを開いて、一人酒盛り開始。
お世辞にも風光明媚とは言い難い場所でしたが、入り江に面したコンクリに胡坐して、海を見てボンヤリしていました。
ビールを開けてしばらくして、気がつくと私の横には犬がいました。
そして、開いていた私のつまみのチーズとサラミをペロリと食べてしまったのです。
ヨダレでベショベショになったパックを見て、結構腹が立ち、その脇を睨んだら一人の大柄なおっさんが笑って立っていました。
その飼い主のおっさんはたいして悪びれる様子もなく、代わりを買ってくれると言います。
腹は立ちましたが別に奢ってもらう言われもないので、しばらく断っていたのですが、私のそばから、なかなか離れようとしません。
横に立って、漁港や周辺のことをずーっと話しています。
だんだん面倒くさくなってきたので、しょうがなくおっさんとコンビニに行くことにしました。
追加のビールは別会計で(一応気を使いました)、先に店を出て待っていたところ、後から出てきたおっさんの手にはなぜか焼酎のワンカップ(度数高め)が。
ん?おっさんも一緒に飲むの?と思った途端。
それをコンビニのゴミ箱の前でキューっと一気に飲み干してしまったのです。
さらにガサゴソと袋を探って、もう一本のワンカップの封を切ろうとしています。
慌てた私が
「ダメだよ!そんな飲み方しちゃ。ぶっ倒れるぞ」
と言ったところ、
おっさんは
「別に死にたいからいいんだよ」
と一言。
……なんじゃそりゃ!?
平和に海を見ながらただビールを飲んでいただけなのに、なぜにこんな面倒くさそうなおっさん(と犬)に絡まれてしまったのだろう……。
で、コンビニから漏れる煌々とした灯りでおっさんの全体像を改めて見てみると、大柄だと思っていたおっさんは、明らかに不健康そうな肥り方で、手は青紫の斑でパンパンに腫れあがっていました。
どういう疾患かわかりませんでしたが、尋常ではない感じです。
今しがたの慣れた一気飲みの行動から「酒」が原因な気がしてなりませんでした。
とは言え、ひとまずおっさんの一気飲みを留めて、元いた場所に戻って一緒に飲むことにしました。
もうその時には日は沈んでいました。
そんな暗がりの港で、おっさんは自分のことを話し始めました。(停めるのも聞かずに、相変わらず凄まじいペースで飲みながら)
遠洋漁業に従事していたこと。
そんな仕事のため、なかなか家に帰れなかったこと。
奥さんを愛して止まなかったこと。
寂しい思いをさせたから、立派な家を建ててあげたこと。
立派な家は誰もが羨むような家であること。
でも、奥さんは数年前に他界してしまったこと。
以後、まったく生きる気力がなくなったこと。
早く死にたくて飲んでいること。
私は何とも言いようがありませんでした。
おっさんは私にぜひその家を見てほしいと言ってきました。
家で飲み直そうと。
そして、泊まっていけと。
私にとっては、ただの思いつきの小旅行だったので、正直おっさんの話はその時の私には重すぎました。
が、おっさんはどうしてもと言い張ります。
まったく乗り気ではなかったのですが、おっさんを一人で帰すのも気が引けたので、招待を受けることにしました。
港から少し離れて高台へ登る薄暗く細い道をおっさんと私と犬で歩いて行きました。
おっさんの家は私が予想したいわゆる「豪邸」とは程遠いものでした。
いたって普通の白い家です。
その家をおっさんは入る前も自慢して、入ってからも自慢していました。
居間には奥さんの遺影が飾られていました。
そして、その居間で酒盛りを再開させたわけですが、遠洋漁業はスター級に格好いいこと、奥さんをどれくらい好きだったかということ、そして、家を建てた時の苦労話を誇らしげにずっと話していました。
しばらく経ったとき、おっさんがふと「つまみをつくってくれないか」と言ってきました。
冷蔵庫のもので適当につくってほしいとのこと。
人の家の冷蔵庫を探るのは気が引けたのですが、しょうがなく開けると例の「バカトマト」があったわけです。
なんで人の家の台所でトマトを切っているのか疑問に思いつつ、マヨネーズを添えて出しました。
スカスカで、果肉は粒状、色は薄く、甘くないトマト。
二人で一切れか二切れ食べる程度で、結局何のために切ったのか不明なつまみでした。
そんなトマトを前にして、ついにおっさんが奥さんの話で泣き始めました。
好きだった。だから、もう生きる甲斐がない、と。
泣いたおっさんと奥さんの遺影とバカトマトの空間で私がどうしていいのか分からなくなった時、家に子供さんが帰ってきました。
おっさんは私を紹介してくれる風もなかったので、一応私から挨拶をしようとしたのですが、子供さんは無言で自室へ。
おっさんは子供さんが帰るかどうかわからないと言っていたのですが、私は招待を受ける時、「子供さんが帰ってきたら、見ず知らずの男がいたら気持ち悪いだろうから、お暇するよ」と約束していたので、辞する用意をはじめました。
正直なところ、子供さんが帰ってきたことは私にとって渡りに船の気がしていました。
もうその空間にいたたまれなかったのです。
それでもおっさんは引き留めようとしてきました。
で、私は最後におっさんの手を握らせてもらいました。
腫れて私の倍の厚さもある手でした。
何もうまく言えませんでしたが、
とにかく「『死にたい』だけはナシ」だと言いました。
それから、酒を控えるようにと。
ですが、泣いていたおっさんの目はまったく聞いていなかったように思います。
おっさんが酔っ払っていたからとかではなく、そんなものとは関係なく私の言葉が素通りしているのを感じました。
一人で薄暗い道を港の方に戻りながら、私はおっさんがずっと一人だったんだと思いました。
横に私や犬がいても一人。
子供さんが帰ってきても一人。
奥さんがいなくなってから、ずーっと一人。
短い時間でしたが、おっさんが誇り高い人であることは分かりました。
スター級の遠洋漁業の漁師さんだったこと。
奥さんが大好きだったこと。
立派な家を建ててあげたこと。
で、今のおっさんに残っている誇りは「家」だけになってしまったのかもしれない、と思いました。
あの時の美味しくなかったトマトとマヨネーズの味は忘れられません。
今でもたまに古い昔ながらのトマトを食べる時、おっさんの家で切ったトマトのことを思い出します。
あれからだいぶ経ってしまいましたが、妻、ベリーさんがいる今の私であったら、おっさんの気持ちにもうちょっと寄り添ってあげられるように思います。
が、仮に寄り添えたとしてもおっさんの喪失感をどうしてあげることもできないことも、わかるようになりました。
人の人生に触れるには、まだまだ経験と覚悟が足りなかった独身時代の思い出です。