親男日誌 ―ナルニアきょうだいとベリーさんと私―

都内で夫婦共働き、4人の子育て(ナルニア物語と同じ男→女→男→女)、妻はベリーの暮らしのベリーさん、そんな家族のお父さんのブログです

「おふくろの味」で悶々と考えてみる

どーも、わりに冷めた食べ物が好きな悪食親男です。

(よくベリーさんが気を使って、温めようか、と言ってくれるのですが、面倒くさいのもありつつ、逆にその冷たさが好きだったりします。。。って、いまいち伝わらない気が。。。)

 

さて。

 

先日来、我が家は故郷からのお届け物が続いています。

 

ベリーさんの実家からお菓子の詰め合わせ。
(詳細はこちら→母からのLINEと、届け物 - ベリーの暮らし

 

私の実家からは即席郷土料理の素みたいなやつが送られてきたり。

 

そして今日はベリーさんのルーツでもある沖縄のおばさんからスパムや黒糖のお菓子とか。

 

それぞれ、ベリーさんや私はその味にまつわる思い出を子供たちに話したりして、いいものであります。

 

加えて。

 

大変ありがたいことでもあります。

(何より送ってもらえる気持ちがありがたいですし、さらに子供が多いので食べ物は実際問題ありがたいわけであります)

 

ホントに。

 

味って、思い出と容易に結びつくんだなあ、と。

 

認知心理学がどうとか大脳生理学がどうとか、詳しくはよくわかりませんが。

 

まあ、実際そうなんだから、様々な人に「おふくろの味」ってものがあるのかなと。

 

 

で。

 

ここからが自分自身まったくもって、その是非について迷ってしまうところなのですが。

 

「おふくろの味」って、私自身ホントに温かな思い出もある一方。

 

もしも「おふくろの味」の主要素がホームメイドを要求しているものだとすると、それって子育てにおいてはプレッシャーになるんじゃね?

とか。

 

「おふくろの味」があるとしたら、私の子供たちにとって「おやじの味」はあるのか?ないのか?あるとしたらそれは何なのか?

とか。

 

もうすでにどこかの国では「おふくろの味」はジェンダー的にNGワードになっているのかな?

とか。(ごめんなさい、調べてません)

 

もしも「おふくろの味」を言葉として使えなくなったら、「親の味」になるの?それとも「家族の味」?なんかしっくりこないな。。。

とか。

 

 

まあ、いろいろとしょうもないことを考えてしまうわけであります。

 

 

 

そんなことを考えずに、ありがたく頂けばいいだけですし。

 

思い出は大事にすればいいだけですし。

 

そもそも言葉狩りみたいになるのも違うと思うし。。。

 

 

 

というわけで。

 

何かしっくりくる落としどころもないまま。

 

私自身、悶々として「おふくろの味」をいただいたりするわけであります。

 

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飯とみそ汁(まんが日本昔話ver) ©親男

実は私、ベリーさんのお正月料理が大好きです。

うちの子たちは何が「おふくろの味」になるのかな。