親男日誌 ―4人きょうだいとベリーさんと私―

都内で夫婦共働き、4人の子育て(ナルニア物語と同じ男→女→男→女)、妻はベリーの暮らしのベリーさん、そんな家族のお父さんのブログです

【子育てを】忘れるな。

どーも、保育園大好き親男です。
(ホントに激務の時代、保育園に行くごとで気持ちがリセットできてました。)

さて。

今年の3月まで16年間保育園に通っていたわけですが。
(4人きょうだいが途切れることなく通っていたので。)

たった半年前なのに。
もはや今は昔。。。

なんかあの保育園の送り迎えの日々が遠い遠い昔のようで。
今現在は小3と小1の二人が学童保育やらいろいろで。
小学校低学年(と中学年)たちの小学校の日々がわが家の日常になっています。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、じゃないですが。
保育園の送り迎えの日々には。

それなりの苦労もあったような気がしますが。
それは完全にスッキリハッキリと忘れちゃいました。
今はもう懐かしい、いい思い出ばかりです。
(まるでフラレたのに強がっているやつのような言い草だな)

と。

なんでこんなことをあらためて考えたのかと言いますと。
私が今一緒に仕事をして全幅の信頼を置いているパートナーの彼が。
まさに子育て真っ只中で(いや、ワシもなんですけどね)。
数カ月前のワシのように定時で上がって急いで保育園に向かっているからなのでした。

彼には彼の大変さは重々承知しているけど。
「保育園うらやましいなー」なんて普通に言えちゃうくらいの資格は。
ワシにはあるのではないかと思っています。
(まあ頑張りましたからね。。。)

と、そんな”ノスタル爺”になってもしかたありません。

今回の記事で言いたいのはそういったことではなく。

問題なのは。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということ。

あれだけヒーヒー言いながらやっていた子育ても。

その時期が過ぎたら、たった数ヶ月で「過去」。

これが問題のような気がするわけです。

何が問題なのかと言いますと。
そういった子育ての期間は。
人生において極めて時限的、限定的なわけで。

社会的な問題をはらんでいることが多い分野にも関わらず。
その問題は社会的な広がりや声の大きさが形成される前に。
今まさに大変な時期がいとも容易く過ぎてしまう、ということ。

つまり、当事者の親たちが「子育てが大変だから社会がこう変わってほしい」「変えなくちゃ」という。
そういった声が結晶化する前に。
当事者がそのフェーズを「卒業」しちゃうわけです。

そしたら。
子育ては次のフェーズ(わが家の場合は高校生フェーズ、中学生フェーズ、小学校低学年フェーズの三つ巴状態)を迎えるので。

正直なところ、前のフェーズの不足や不満や不安を思い返す暇もなく。
たった数ヶ月で忘却へ。

これじゃあ、社会における子育てはよくならないよな、なんて思います。


ただ、最近はSNSが発達したおかげで。
当事者の声が広く発信しやすくなったので。
多分その昔よりも格段に良くなっていると思います。

現にここ10年ちかくの子育て界隈の改善・拡充は目を見張るばかりです。

それはきっとSNSで問題提起をしてくれたお母さんやお父さんがいてくれたから。


ということで。

ワシは。
まだまだ当事者ではありますが。

子育てを忘れちゃいけないな、なんて思うわけであります。

通り過ぎた後、簡単に「いい思い出」にしてもダメなんだと思うのです。

苦しかったこと、大変だったこと、そういったことを忘れずにいて。
それをしっかりと次の子育て世代のための「声」として貯めるべきなんだろーなー、なんて。

考えるわけです。



とは言え、まあ、それはそれとして。

定時になったら颯爽と帰る彼を見て。

マジクソうらやましいなー、と思うおっさんなのであります。

 



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