親男日誌 ―4人きょうだいとベリーさんと私―

都内で夫婦共働き、4人の子育て(ナルニア物語と同じ男→女→男→女)、妻はベリーの暮らしのベリーさん、そんな家族のお父さんのブログです

【まやかし】家事分担の幻想。

どーも、よくフィフティーフィフティー、半々、50:50なんて言いますけど、そんな都合よくうまく分けられるの?と思う親男です。

 

さて。

 

最近家事を夫婦で半々。

という言葉をよく聞きます。

 

私と妻ベリーさんが結婚した10数年前も。

もちろん。

そういう言葉は実際ありましたが。

 

私が保育園の送り迎えをしたり。

保護者会・PTAなんかに出席したときのお父さんの出席率だったりを思い出しますと。

そういったことはまだ「理想」であって。

世の中全体は「現実」である「男は外で戦い、女は内を守り」的な発想が根強く根深く存在していたように思います(まあ、今でもあるでしょうけど)。

 

で。

10数年経った今。

 

明らかにその当時とお父さんの出現率は変わってきましたので。

それはたぶん。

いわゆる意識高い系の夫婦や夫が増えたのではなく。

社会全体がそれを推める方向になってきたのではないかと思うわけです。

 

いいことです。

間違いなくいいこと。

 

で。

ここでへそ曲がりの私が思うのが。

 

そうなってきたらそうなってきたで。

出てくる言葉が。

夫婦で負担は半々とか。

家事分担は半分ずつ、とか。

そういった言葉なんですが。。。

 

これって。

そう簡単にいくもんでしょうか。

 

 

 

と。

言いますのも。

 

 

そもそも。

「半々」って。

どうやって測るのだろうか?

 

面倒くささだったら人によって違うわけですし。

消費カロリーでも人によって違うわけですし。

 

なので。

私は。

「半々」って言葉にちょっと引っかかっちゃうわけです。

 

こっちが思っている「半々」と。

あっちが思っている「半々」は。

絶対に違うわけで。

 

そこにささやかな遺恨を産む可能性を孕んでいるのではないかと思うのです。

 

「半々なのに〜」

「半分ずつなはずなのに。。。」

みたいな。

 

けど。

この事に関する解決って案外簡単で。

 

ただただ。

「半々」という不自然な言葉を使わなければいいだけかなと。

 

「半々」と言うから。

量で割っているような気になって。

そもそも半々なんて難しいもんだから。

「こっちのほうが大変なのに」という気になるわけです。

 

そもそも家事や育児について何某かの分担をしているのであれば。

まずはそれだけでよくて。

 

そこに痛み分け。

みたいな概念は必要なく。

それぞれがそれぞれの守備範囲があるんだと。

ただそれだけ。

 

 

 

ということで。

 

 

じゃあ、どうすりゃいいの。

どう言えばいいの。

って話しなわけですが。

 

まあ。

相手を思いやって。

得意なことをお互いがやっていればいいんじゃないか、と思うわけであります。

 

得意とは。

 

器用だとか。

料理がうまいとか。

体力があるとか。

朝に強い、夜に強い。

細かいことに気がつく。

そもそもその家事・育児が好き、とか。

 

そういったことでいいんじゃないのかと思うわけです。

 

私が。

家事は半々。

育児は半々。

という表現になんとなく引っかかるのは。

その裏っ側に。

なんか「負担」という気持ちが見え隠れするからなのかもです。

 

そりゃまあ、負担じゃない、なんてきれいごとを言うつもりはありませんが。

 

なにも負担を痛み分けている感があるような言葉で表現しなくてもいいんじゃないかなーなんて。

 

思ったり思わなかったりするわけなのです。

 

 

 

 

相手を思いやって。

お互いの「得意」を使う生活、ってわけです。

 

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