親男日誌 ―4人きょうだいとベリーさんと私―

都内で夫婦共働き、4人の子育て(ナルニア物語と同じ男→女→男→女)、妻はベリーの暮らしのベリーさん、そんな家族のお父さんのブログです

人生を縛りつけるもの

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□ 仕事
□ 職場関係
□ 上司
□ 住宅ローン
□ 土地・持ち家
□ 家族
□ 子供
□ 配偶者
□ 地縁
□ 供養
□ 介護
□ 育児
□ 病気
□ 障害
□ 財産
□ 体面・体裁
□ 見栄
□ 自尊心
□ 羞恥心
□ 憤り
□ 怨み
□ 趣味
□ 生き甲斐
□ やり甲斐
□ 働き甲斐 etc.


先日、最近離婚したての大学時代からの友人に会ってきました。

本人は「ぜんぜん落ち込んでないよ」と言い、むしろ「束縛から解放された」と言っていました。

それがホントかウソかはそいつ本人が決めればいいのでどうでもいいのですが、ふと「人生を縛りつけるもの」は、どれくらいあるんだろうと思い、適当に羅列してみたのが、上述の言葉たちです。


ということを考えてみると、離婚したての友人だって配偶者からの束縛こそなくなったかもしれませんが、月に1回会いに行く息子さんとの関係については縛られ続けるわけで。

改めて考えてみると、様々なことから解放されて自由を謳歌している人なんて、この世にいるのかと思うわけであります。

 

で、項目の一つ一つに□を付けてみましたが、それにチェックを入れて多ければ悪いとか、少ないからいいなんてことも言えない気がします。

 

つまり、特定の項目にチェックを入れたから致命的に人生が縛られているとか、チェックを入れていない項目があるから、まだあなたは自由に近いです、なんてことも言えないわけです。

 

自分の人生を縛りつけている項目は常に複合的なはずで、この世に一人として同じ組み合わせの人はいないのではなかろうか、と思っちゃったりします。

 

たぶん社会で生きるということは、何かに縛られて生きるということなんじゃないのかな。

 

ま。

 

だから無人島で一人ぼっちで生きているわけじゃない限り、それ自体にいいも悪いもないわけです。

 

というわけで。

 

離婚したてほやほやの「自由」を謳歌している友人を見て、1%も羨ましく思わなかった私はそれはそれで健全なのではないだろうか、なんて思いつつ帰路についたというわけです。

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