どーも、『狭いながらも楽しい我が家』って歌詞がありますが、「狭い」って何をもって狭いって言っているのか、そんでもってだから何?と思う親男です。
さて。
私は。
古い考えで。
視野の狭い奴ほど。
テレビの大きさと家の広さにこだわる。
と常々思っています。
わが家は一般的に言って。
家が狭い部類に入るのかな、と思いますが。
デッドスペースは限りなく少なく効率よく暮らしていると思います。
実際。
実家に帰るといつも思うのは。
無駄なスペース=無駄な部屋が多すぎってこと。
その昔。
ちょうど今の私の年代くらいの父と母は。
昔ながらの価値観と。
住宅メーカーの営業の人の言葉通りに。
ローンを組み。
家を建てたのだと思うと。
なんか複雑であります。
デッドスペースどころか。
使ってない部屋(いらない部屋)がいくつあるの?という話で。
そこにどれだけのコストがかかっているのかと。。。
結局私は。
その家には数年しか住んでいませんし。
実家を出ていった後の時間のほうが圧倒的に大きくなっているのに。
いまだに私の部屋は物置になりつつも。
まだあるという。。。
で。
なんでこんなことを書いているのかと言いますと。
妻ベリーさんの本日の記事。
👇👇👇。
一部の頭が悪く、かつ古い奴らから。
なぜかわが家の広さについて。
やいのやいの言ってこられることが多いのですが。
本気で言いますと。
「いや、お前んちの無駄が多すぎだろ」って話で。
そもそも。
「家の広さ」のための人生なの?
それとも。
楽しく暮らすための家なの?
どっちなの?
って気になります。
広い家に住めば。
家族が楽しく暮らせる。
という因果関係が成り立つなら。
たぶん私もベリーさんも迷いなく広い家に住みますけど。
私たち夫婦は。
そんな理屈が。
無意味だってことを知っているわけで。
なので。
必要であれば広い家に住みますし。
今は必要ではないので住みません。
ただそれだけ。
ホント。
この辺の簡単な理屈がわからない奴がいるから。
住宅メーカーは潤うわけです。
ということで。
その昔。(もしかしたら今も)
Yahooコメント界隈で。
わが家の広さ(狭さ)でいろいろと言ってくる人々がいました。
「そんなに狭くて子どもたちが可哀想」みたいな。
私は旧態依然とした価値観でシワの少ない脳みそを持った、そんな奴らが逆に可哀想って思います。
大事なのは。
家族が楽しく暮らすってことなわけで。
もしもその大事なことに紐づく明確な何かがあれば。
私とベリーさんは金に糸目なんてつけません。
が。
そんなものはたぶん。
ないです。
もしかしたら。
統計的に有意になることはあるかもしれませんが。
それはあくまでも大勢の家族から成る「統計」の話であって。
「自分の家」の話ではないわけです。
つーわけで。
私はわが家の広さの問題がどうこうよりも。
「空き家問題」がどうこうよりも。
「あなたの家のデッドスペース、それ無駄じゃね?いくらかけてんの?」と思ったり思わなかったりするわけであります。